旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

基準となるものが有限であることと、損得に神経質という民族的な思考の方向

日本は古くから農耕を主にして生きてきた民族の国。

きっと、だからこそ、日本人は「損をする」ということに神経質なのではないだろうか。

 

農耕する上で絶対に必要なのは、まず、土地。

この広さが、耕作量をほぼ決定する。

土地の質も影響は大きいが、それは改良することができる。

しかし、土地は、拡張したかったら人のものを借りたり譲り受けるか、まるで未開の場所を探し出して切り開くしかない。

集落の中で優良な場所が開いていることは無いから、人から譲り受けることができないならば、外へ出て行くしかない。

 

結局、「その囲いの中」において、「少しでも多く確保する」思考にならざるを得ない。

 

そんな、民族的な思考の向きってものが、あるような気がする。

 

 

見返りなく人に分ければ、自分が確保できる分が減るだけなので、損。

少しでも人より多く確保することができれば、得。

 

 

人口が減少し始め、家や土地が徐々に、余り始める。

そんな時に、「貨幣経済ではない時台」の兆しがハッキリしてきた。

損しないことが重要だった時代も、変わり始めている。

損か得かに左右されない価値観。

有限のものをいかに取り合うかではなく、必要な時だけ手に取り済めば放す。

決まった容積の中にどれだけ効率よく詰められるかではなく、どうやって次へ循環させていくか。

 

 

あらゆることの基準や指標が、今までの世界と変わりつつある。

平成が終わろうとしている。

次の時代に生まれてくる子達は、どんな世界を創っていくのだろう。

 

 


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