人間の「裏表のあるナシ」について漫然と考えた
裏表のある人
言行にズレが多い人
本音と建て前の乖離が大きい感じの人
そういう人とは、付き合いにくい。
なんだけど。
そもそも、人は一面だけではないのであって。
私が「あの人は言行にズレが多い」と感じていたとしても、そんなのは所詮、私が「垣間見ることができた、あの人」という断片から感じているだけの話なわけだ。
裏表がある人、ない人
確かに、そういうのは、ある。
けれど、人は誰でも陰陽一体。
誰にだって、言えないことの一つや二つ、言いたくないことの三つや四つ、ある。
だからって、それで「裏表がある」ことになるのか?
違うよな。
とてつもなく愛が深いからこそ、時に驚くような非情さを発揮する。
そんな人の、愛嬌があって情に厚いところばかりに接している者が、その非情さに直面した時。
まず、「自分がその人に抱いているイメージ」が損なわれることによって、自分が傷つく。
だから、怒りに変わったり、悲しんだり、時には恨んだり。
でも、その人はもともと、愛が深いがゆえの非情さというのを常に内包している。
それに気がつくか気がつかないか...は、見る側による。
非情さをひた隠しにしている...という人は、案外、隠すことができていないものだ。
隠そうとする意識の「香り」が、漏れてくるから。
別に隠すつもりもなく、ただ単に発揮される機会がないだけ...という人のほうが、意図が無いだけ気づかれにくい。
では。
その「気づかれにくい」人は、裏表がある人なのか?
隠そうとしていてもにじみ出てしまう人は、一般的には「嘘がつけない人」に分類されると思う。
けれど、その人は、「自分が内包している一面を、意図して見せないようにしている」のだから、そっちの方が裏表があるのじゃないのか?
そんなことを考えながらの夕方。
ちなみに。
例にあげた「愛が深いがゆえの驚くほどの非情さ」を希に発揮する人というのは、実在する人物をイメージしている。
その人のことを悪く言う人間は滅多にいないけど。
むしろ、恩義を感じる人が多くいるのだけど。
一方で、深く恨んでいる人が存在するのも、知っている。
表だって敵を作るようなこともないのだけど。
決めた時に振るう大鉈は、それはそれは思い切ったもので。
全ての人に同じようにすることはできないと、わかっているからこそ。
その人は、嘘がつけない。
でも、自分が内包している暗黒を、人には見せないよう隠している。
なんだかイヤだな、と感じる「裏表がある」その在り方というのって。
たぶん、「保身」の強度による。
そんな気がする。
見せないようにする、その動機が。
自己保身のためだと...なんだかイヤーな感じがする。
結果的には、その匂いは隠しきれずに漏れ出るので、気づかれて嫌われる。
いわゆる「コウモリさん」は、このタイプに多いように思う。
利他のためにしている「裏表」は、覚悟がないとできない。
隠している暗黒も、それを全て自分で背負うと決めている場合と、見られて人に嫌われることを恐れているのとでは、まったく触感は違う。