旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

沈黙行やってみて感じたこと諸処

今回の3日間沈黙行は、たまたまとは言え、実によい時期にはまった。

「お前はちょっと黙っとけ」と私に言ってくれた未来の?私に、感謝しなきゃならない。

 

私に「お前はちょっと黙っとけ」って言ってきた「私」てのはね。 「瞑想しながら(っていうように見えていればOK)、ただ座ってるだけで、人が勝手にお賽銭を入れていく」 を現実化している...という想定なのでした。

3日間沈黙が何を意味するか アクティブカラーセラピー体験とその所感 - 緋呂の異界絵師通信

 

この期間にはまった3日間のうちに、ものすごいいろんな事が起きた。

まあ、その一つは、行がなくても沈黙を続けたであろう事柄だけど。

もう一つ、リアルで起きた降ってわいたような出来事は、なにか言いたくてしょうがない、でないとやってられない...ていうレベルのことだったので。

もしも行の期間中でなかったら、すごい勢いで愚痴をSNSに投稿してたかも知れない。

状況を話せば大抵の人は「そりゃあ向こうが悪い」と私の肩を持ってくれると思われるが。

それを投稿することが「バカみたい」で、みっともないことは、変わらない。

行のおかげで、それをやらずにすんだ。

 

 

黙っている、ということは、いろんな意味を持つ。

意思表明をしない、ということでもあるし。

言葉のミスを防ぐ、ということでもあるし。

人に迷惑をかけない、ことにもつながるし。

品位を保つ、ということにもつながる。

 

なーんて。

今でこそ、そうだと思う私も、比較的最近まで、憂さ晴らしにSNSを使っていた。

褒められたものじゃない、とは思いつつも。

 

そうすると、何が起きてきたか...というと。

 

SNSを愚痴垂れ場として使う、というのが普通のように感じてしまい。

似たような人がタイムラインに並ぶようになり。

それを見て、「本音を言えないなんて!」みたいに、おかしな解釈が蔓延して。

あたかも、それが「一般常識」のように、感じてくる。

 

いやあ、それ、違うから。

おかしいから。

 

本音とは、愚痴のことではないし。

本音を書くとは、憂さを晴らすことではないし。

本音で語るとは、感情や勢いだけでわめくことではないし。

本音を隠さないとは、なんでも垂れ流していいということではない。

 

たった3日、「今から黙ります」と書いた以外一切発言をせず、「いいね」も押さずシェアもせず、あんまりROMもせず...という生活をしただけで。

実に、いろいろなことが見えた。

 

発信する、ということを基本から考え直す機会になったように思う。

 

 

この9月には、なんともはや、思いがけないことがたくさん、起きた。

現実の流れも、自分自身の内面の流れも、どちらも。

 

なにやってるんだ、こんなことやってて、「羅針盤の示す場所」に、行けるわけないじゃないか。

 

そんなことを、強く感じさせてくれた、3日間の沈黙行。

 

実はね。

それほど、辛くなかった。

3日にした時、「理想は7日間なんだけど、そんなに続けたら死んじゃうかも」と思って3日にした。

以外に、7日やっても、そんなに辛くなかったように思う。

ブログのアクセス数も、特別急行下もしなかったし。

 

 

気がつけば、もうすぐ10月。

誕生日前と後、各一ヶ月は、けっこう要注意時期だ。

この9月は、その前倒しだったのか。

それとも、これから12月までの間に、さらにびっくり出来事が続くのか。

 

いずれにしても、すでに来年...2018年への動きの準備期間に入っているのは間違いない。

 

 

龍体文字(龍印画)と言縁百式という、去年まではカケラも想像しなかったツールが今年は手元にやってきた。

見えない世界のことは、神様話や神絵を最近やっていないけど、だからって薄くなってるということはなく。

自分の役割について、考えが深まっている面もある。

 

これからは、この3日間に感じたことを重々、下敷きにして。

発信の仕方も、より気をつけていこう。

 

今までだって、なんでも垂れ流していたわけではない。

それを、より、「道筋に沿ったこと」に寄せていく...というだけの話だ。

 

 

 

日本海の夕日

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