沈黙行やってみて感じたこと諸処
今回の3日間沈黙行は、たまたまとは言え、実によい時期にはまった。
「お前はちょっと黙っとけ」と私に言ってくれた未来の?私に、感謝しなきゃならない。
私に「お前はちょっと黙っとけ」って言ってきた「私」てのはね。 「瞑想しながら(っていうように見えていればOK)、ただ座ってるだけで、人が勝手にお賽銭を入れていく」 を現実化している...という想定なのでした。
3日間沈黙が何を意味するか アクティブカラーセラピー体験とその所感 - 緋呂の異界絵師通信
この期間にはまった3日間のうちに、ものすごいいろんな事が起きた。
まあ、その一つは、行がなくても沈黙を続けたであろう事柄だけど。
もう一つ、リアルで起きた降ってわいたような出来事は、なにか言いたくてしょうがない、でないとやってられない...ていうレベルのことだったので。
もしも行の期間中でなかったら、すごい勢いで愚痴をSNSに投稿してたかも知れない。
状況を話せば大抵の人は「そりゃあ向こうが悪い」と私の肩を持ってくれると思われるが。
それを投稿することが「バカみたい」で、みっともないことは、変わらない。
行のおかげで、それをやらずにすんだ。
黙っている、ということは、いろんな意味を持つ。
意思表明をしない、ということでもあるし。
言葉のミスを防ぐ、ということでもあるし。
人に迷惑をかけない、ことにもつながるし。
品位を保つ、ということにもつながる。
なーんて。
今でこそ、そうだと思う私も、比較的最近まで、憂さ晴らしにSNSを使っていた。
褒められたものじゃない、とは思いつつも。
そうすると、何が起きてきたか...というと。
SNSを愚痴垂れ場として使う、というのが普通のように感じてしまい。
似たような人がタイムラインに並ぶようになり。
それを見て、「本音を言えないなんて!」みたいに、おかしな解釈が蔓延して。
あたかも、それが「一般常識」のように、感じてくる。
いやあ、それ、違うから。
おかしいから。
本音とは、愚痴のことではないし。
本音を書くとは、憂さを晴らすことではないし。
本音で語るとは、感情や勢いだけでわめくことではないし。
本音を隠さないとは、なんでも垂れ流していいということではない。
たった3日、「今から黙ります」と書いた以外一切発言をせず、「いいね」も押さずシェアもせず、あんまりROMもせず...という生活をしただけで。
実に、いろいろなことが見えた。
発信する、ということを基本から考え直す機会になったように思う。
この9月には、なんともはや、思いがけないことがたくさん、起きた。
現実の流れも、自分自身の内面の流れも、どちらも。
なにやってるんだ、こんなことやってて、「羅針盤の示す場所」に、行けるわけないじゃないか。
そんなことを、強く感じさせてくれた、3日間の沈黙行。
実はね。
それほど、辛くなかった。
3日にした時、「理想は7日間なんだけど、そんなに続けたら死んじゃうかも」と思って3日にした。
以外に、7日やっても、そんなに辛くなかったように思う。
ブログのアクセス数も、特別急行下もしなかったし。
気がつけば、もうすぐ10月。
誕生日前と後、各一ヶ月は、けっこう要注意時期だ。
この9月は、その前倒しだったのか。
それとも、これから12月までの間に、さらにびっくり出来事が続くのか。
いずれにしても、すでに来年...2018年への動きの準備期間に入っているのは間違いない。
龍体文字(龍印画)と言縁百式という、去年まではカケラも想像しなかったツールが今年は手元にやってきた。
見えない世界のことは、神様話や神絵を最近やっていないけど、だからって薄くなってるということはなく。
自分の役割について、考えが深まっている面もある。
これからは、この3日間に感じたことを重々、下敷きにして。
発信の仕方も、より気をつけていこう。
今までだって、なんでも垂れ流していたわけではない。
それを、より、「道筋に沿ったこと」に寄せていく...というだけの話だ。
日本海の夕日