見えない世界に在る「系統」〜流れを汲む、という意味を再考する
圧縮率をあげて、サイズの小さいところにもちゃんと描けるようになれ
という、私にとっちゃ本気で苦手な、しかし実際に必要な、永遠の課題とも言えるものに直面中。
ゆえに、やや逃避。
私は実験好きで。
今まで、ほんと、いろんなものを実験してきました。
まあ、事前事後の検証などしてないものがほとんどのため、「そんなの実験と言えるかアホー!」かもだけど。
気になると、気になるんですよ。
いろんな意味で。
術者とか、ヒーラーとか、占い師などのカテゴリはもちろんのこと。
対面で何かを提供している人たちや、手仕事によって何かを提供している人たち。
ほんと、興味深くて。
見慣れない技法や術法を使う人となったら、なおさら気になるし。
すごく支持されている(みたいに見える)人も、けっこう気になる。
その人の施術なりセッションなりを受けて、私がどう変わるか、私の課題が何かしらの進展を見るか…ということは、ぶっちゃけ二の次、三の次。
受けるために課題を設ける、なんてこともあるので、そりゃあ当然そうなる。
お金払ってお客になって行く最大の理由は、
「その人が、どうやってそれを行うのか」
ってところ。
メール鑑定とか、遠隔セッションとか、トークもメールの行き来もない一方通行の「遠隔ヒーリング」とかも、けっこうな数受けてきました。
伝授系も。
今でも、どうしても、ついつい、ウズウズしちゃってねー。
受けたくなるんですよ。
でも。
本当に、ここ最近(いや、具体的にいうと、先月半ばから)、もうそういうのやめよう、って思いました。
本当に信頼できる人が設定しているものだけに絞ろうって。
無駄だから、ということではなく。
自衛のためです。
さすがに私も、見えない世界の中にあっても、個々に「系統」というものがある、ということはわかってました。
ええ、知識的には、前からわかってました。
しかし、ここんとこ、本当にね。
実感として、「相容れないものは、相容れない」ということが感じられるようになりまして。
うっかり、興味が先にたって「入れてしまう」と、後から自分が困ることになる。
おそらく過去にもそうなったことがあったんだと思うのだけど。
なんせ自覚の薄いヤツなので、なんか調子悪いな、っていう程度で通り過ぎてしまってたと思います。
けれど、もうさすがにね。
ああ、これはやっぱり、マズイことになるんだな。
と実感しちゃうような体験を続けていくつかしまして。
いい加減にせにゃー、と。
私には幸いなことに、とても信頼している方たちが比較的身近にいてくださってます。
やっぱりね。
そういう方たちに、自分の系統は沿っている感じがするんですよ。
だから、信頼できるんだな、っていうか。
どれほど高名だったり、人気があったりする人でも、それほどの縁を感じない方たちは、やっぱり、系統としてのズレがあるのだと思うわけです。
個人的に好感を持っているとか、そういうのは、それほど関係なくて。
好感ががあっても、「系統違うな」って感じることも、たくさんあります。
ズレのあるものを、うっかり自分に触れさせてしまうと。
やっぱり、調子悪くなります。
その方たちの施術なりヒーリングなりが間違ってるということではなくて
(いや、そういう場合もあるっちゃあるけど…)
もう、流れが異なる、としか。
入れてみないとズレははっきりわからない、というところが、私のヘボなところなのですが。
入れなくても、そこそこ感じることも、あるわけで。
今までは、そんな時でも興味が先に立って、それに負けてました。
けれど、もう、そんなことしてる場合じゃないー。
調子を保つってことが、このトシになると、本当に、重要なことになってきます。
回復が遅くなったし、場合によっちゃ、回復しきらずマイナスで着地してしまうことも起き得ると実感できたからね。
好奇心に殺されてる場合ではないのです。
遠隔ヒーリングとかはさ。
人が設定したものを入れてないで、自分でやれや、っていうのもあるしね。
(使ってないから鈍ってるよなあ〜)
緑色の爺様に、とある体の部位を保護いただいた(らしい)のですが。
ちょっと、その部位について、色々と自覚もあり。
自分自身というものも、また、一つの「源泉」であると考えた時にね。
違う水を入れるって、端的にいうと「汚染」を許すってことだよね、って。
思うわけですよ。
術師的絵師、という役所を考えても。
己を保つ、ってのって、至上命題だしね。
「流れを汲む」という言葉がありますが。
その意味するところを、今一度、よーく考えよう、と。
そんなところです。
まだ途中のペア絵皿。