相手のために、という姿勢でくる相談相手はだいたいロクなもんじゃない
心理学や占いの知識がある人と話すのは楽だな、と思った時期があった。
人がそれぞれ違うのだ、という大きな前提を何度も確認しなくても済む、というだけでも楽だなと。
けれど今は、それを学んだ人がその前提を自分に落としこんでいる人ばかりだとも思っていない。
そして、ムダな知識や、その知識を使いたい欲求がなまじ高いだけに、話すのがめんどくさいと思えることが多い。
自分の知識にあるラベルを貼ることしか、考えてない。
はみ出ているところがあっても、誤差の範囲みたいに勝手に丸めて、ラベリングを強制してくる。
こちらからすると、「あんたのラベルはそもそも間違ってる」という感覚しかないのに。
ラベルをたくさん持った状態で「あなたはどのラベルを貼るべきかな」と話をする。
個人を見て聞いて知る前に、ラベルを持って待ち構えている。
自分の感覚に合う言葉に、こちらの言葉をいちいち置き換えようとする。
どういうこと?と聞かずに、こういうこと?と聞いてくる。
違うってのに。
そもそも、最初から、違うのに。
自分は導き側なのだから、相手を見透かせなくてはならない…とでも思っているのだろう。
あるいは、もっと重症な「相手を見透かせると信じている」か。
もっと大きな枠組みで見た時、確かに私のケースがそのラベルに該当しているってことはあるだろう。
しかし私にとって重要なのは、どのラベルかではない。
自分の中にあって、それがわかっていても言語化できないものを、言葉あるいは別の表現を用いて明確化することだ。
聞き手のためのラベリング後ファイリングされるためのサンプルになることは、自分の「明確化欲求」の手伝いの対価として交換するだけの話。
仕分けられるのを望んでいるんじゃない。
それでも、時々、はっきり言語にできなくてイライラする細かいところを、交通整理してくれる素晴らしいいい聞き手/会話の相手に出会うこともある。
その可能性があるから、人に会う(セッション受ける、という意味に留まらない)のは、いいものだと総体的には思っている。
でも。
なんちゃら心理学とかにかぶれてない人や、知識はあっても振り回さずフラットに見られる人と話すのが、やっぱり、いい。
でもでも、今は話すことにも倦んでいる面があるので、会話は自分の影や空や雲や雨や風とで十分に思えている。l
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全ての人に当てはまることだとは思ってません。
ただ、「自分はこんな人とは違う」とハナから思うタイプの人が該当しているケースはままあります。
なぜなら、そこに「果たして自分はどうなんだろう」と顧みようとする姿勢すらないからです。
ないから、ここに書いたようなことに当てはまってしまうのです。
そして、学問としての存在を否定するつもりは全くなく。
むしろ、学問として研究を続けていく人がいなくなっては困ると考えています。
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