ブログやSNSの発言で傷ついたり動揺する…のは「発信者と自分の領域が混ざっている」から???
他人のブログやSNSの発言を見て「傷ついた!」と感じる。
時には、それをわざわざコメントやメールで相手にぶつける。
そういう動きを指して、
「発信者が多くなって、見たくないものをみてしまう機会が増えたから」
というのだが。
本当にそうなのかな、と考えてみた。
ネットが普及する以前は「職業として、金銭と引き換えに書かれたものを、同じく金銭と引き換えにして手に入れ、読む」という図式が一般的だった。
だから、書き手と読み手には、最初から明確な「生息領域の違い」があった。
立場の同じ者の発言を読む機会は、新聞や雑誌の投書欄のような「同じく読み手側の意見がまとめられたコーナー」程度しかなくて。
それも、編集者がセレクトして、「うちの読者にはこれを見せよう」という意図のもとに公開されているものしかない。
気に入って買って読む雑誌は、そもそも、その読者に受け入れられるものが書かれているのだから。
結局は、最初から「自分に不愉快かどうか」を選んでものをみていることになる。
不意打ちで全く望まない見たくもない意見を無理やりねじ込まれるようなことは、滅多とないだろう。
が、ネットがではそれが普通に起こる。
自分で意図しなくても勝手にフィードに上がってくる画像や文章。
しかも、相手の生息領域もはっきりしていない。
筆者と読者が混ざり合った、というのが、過剰に反応する一因なのかも。
公に見える場所で何かを発言する、というのが「限られた人たち」のやることだったら、ある意味特別視することで、自分の内側に沸き起こる反応を抑えることができた。
しかし、自分と同じようにスマホやパソコンを手にしている「同じような誰か」が、「こんな好き放題を書いているんて」となれば話は別。
なんか、そんな感じの図式があるのかなあ…という。
いや、まあ、だからなんだって話だけどね。
で。
発信する側としては、つい「わざわざ見なければ見ないで済むものを。嫌なら読むな」って言いたくなるんだけども。
それは正論だとも思うし、実際自分でもそう思うんだけど。
そういうのも、「発する側」ならでは言い草だな…なんて、思いもしたわけです。