忘れ去ったはずの青写真を、そうと知らずに組み立てる…の図
自分、一体何をやってるんだろうな…
て、思うこと、ありません?
私は、しょっちゅう、思います。
ほんと、しょっちゅうです。
自分で自分の進む道を選んでいるのだけど。
選んでるようで、実は提示された選択肢はいつだって、一つしか無くて。
じゃあ、その「ひとつきり」は、いつ誰が定めたものなのか?
まるで、ところてんみたいに。
後ろから押し出されて、思いもかけない皿の上に、つるんと、出てしまう。
なんかもう、ずっと、そんな感じです。
嫌いなことをやらされてるわけじゃないからね。
そこは、やっぱり、自分で選んで組み立てているのだろうな…って、思うんだけど。
まあ…ある意味。
「この世に出てくる時に忘れてくる青写真」
てのを、実に忠実にキッチリと、やっている…ってことかも、知れないなぁ。
なんてね。
私は、自分には霊感とか、そっち系の能力は全くない、と思っているんだけど。
時には、そう言ったらいかんのじゃないかな…という気が、ふと、する時もある。
けれど、スイッチを自分でオンオフできない限り、やっぱり、「ない」のと同じだと思うし。
昔、アメブロ時代に。
「神具職人になる」っていう記事を書いたことがあった。
なる…じゃなくて、自分はそうなんだ、って書いたんだったかな。
見えないクライアントがいて、その発注で何かを創る。
それは、三次元に生きている誰かが、使うためのもの。
そんな、想定。
今までもずっと、そういう「脳内想定」をして、創作活動やってきたつもり。
しかし。
最近になって、神絵を中心に描いてた頃よりもずっと、今の方が「その流れに浸り始めた」感じがしている。
龍を主体にする、と決めてからが、ほんとに、呆れるくらいの急流になった気がする。
自分が作っているモノが、どういう働きをするもので、どうやって使うものなのか。
私には、どうも、さっぱりわからない。
のだけど。
見る人が見ると、それが何かの作用をするモノであるらしい。
以前にも、そういう話を人としたことがあった。
その時も、
「どうやって使うかなんて使い手が決めるから、あなたはそんなこと考えずに作りたいように作ればいい」
みたいなことを、言われた。
そうだよね…と思う一方で。
いや、そんな、どう作用するかもわからんモノに値段つけられんやん。
とも、すごく思った。
今も、思う。
けれど。
見る人が見ると、何かになっている…と。
そうなると「自分にそれがわからないからって、お蔵入りでいいのか?」っていうのも、疑問になる。
ほんとに。
なんて残念な仕様にできているんだろう。
とかいって。
凹んでいる場合ではないし、別に凹んでもいないので、このまま、やることを淡々とやるだけなんだけどね。
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