日本刀は反っている 「真剣」に触れてきた&模造刀をいただいた…と、絵の話
先日、とある方から、模造刀をいただきました。
非常によくできた、刀と脇指。
ご自身は、真剣をお求めになったそうで。
不要になったため、私にくださったのです。
私の刀好きをご存じ&絵の資料にもなるだろう、ということで。
実は私…。
日本刀を描く、ということは。
ない……と、思います。
今のところ。
刀は大好きです。
ええ、ちょいと危険なので、あまりじーっと見るってことはしませんけれど。
大好き。
でも、おそらく、描く機会はないんじゃないだろうか。
なぜなら。
私の中にある日本の神は、日本刀をどなたもお持ちではないからです。
諸刃の、刀身が真っ直ぐの「剣」を、お持ちです。
唯一、私が今知る限りで、ツクヨミさまだけは片刃の剣をお持ちです。
が、反りの入ってないものです。
他に帯刀されている神様は幾柱もおられますけど。
たぶん…みなさま両刃の剣であるような。
まあね。
だからって、しっかりと、いただいて参りましたけれどね。
ありがたいじゃないですか。
いつの日か必要になることもあるかもだし。
それより。
その時に、お買い求めになった真剣を見せていただきまして。
持たせていただきまして。
ヤバイね…やっぱ、ああいうのは身近に置いたらいかん。
仮に買える財力を持っても、あれはダメだ。
私にはヤバイ。
私。
複数の方から、今まで、
「あなたの絵はいずれ、日本刀のようなものになる」
と、言われてきてます。
全く繋がりのない別々の方達からです。
つい最近も、言われました。
それぞれの方で、意味合いが少しずつ違っているのは興味深いところなのですが。
その全員の方がおっしゃったのが、
「刃」である、ということ。
刀って、分解できるわけですよ。
で、なんでも、それぞれの部位ごとにコレクターがいるらしいです。
鐔だけを集めた展覧会とかあったので、わかるけど。
私はもちろん、刀身に「だけ」興味がある口です。
鐔とか、美しいけどね。
刀から外された状態ならば、別に興味ないっすね………。
でね。
私の絵は、「日本刀」という、組み立てられた全体ではなくて、「刃の部分だけ」をイメージするんだそうで。
意味合いが少しずつ違ったことをおっしゃっているにも関わらず、全員が、そこだけは同じ。
私自身は、そのようなイメージを持っていただけることについて、
「いやあ、まだまだ、そこまではいけてません」
と、思うのだけれど。
そこは、「今のこの点」からつながっているずっと先のどこかの点から、情報を引っ張ってきている方達のこと。
未来が過去に波及する、という現象の一旦であろうと。
都合の良い解釈を、しています。
私は、刀鍛冶のような存在になりたい…なろうとしている。
自分で、そう思ってる。
だから、作っているものからイメージするのが刀だ、というのは。
ある意味、真っ当に、その努力がずっと先にも繋がっている…ということでもあって。
別の見方をすれば。
どこにも逃げられず、ずっとここに留まるんだなあ自分…なんて、思ったりも。
それにしても…
スゴイよね…こんなものを、造っちゃうなんて。
これほど、無駄なく一つの目的のためだけに特化して進化した「モノ」も、そうそうないよね。
実際に手の中に握ってみた真剣というのは。
いやはや。
いやはや。
買える財力がついても、アレには手を出さないぞっ