旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

そういう意志だから、「本当はなりたいプロ」には、一生なれないのだ

在り方や姿勢を決めるのは、意志。

自分はこうだ、と、腹をくくること。

 

その立脚点を、どういうところに置いたか、っていうのは、それぞれあるとしても。

 

 

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私も、あちこち迷走しながら今日まできた。

まだこれからも、迷走かも知れない。

けれど、ここんとこ、ぐっと、「一度これで行ってみよう」と思える筋道が見えてくるということが続いている。

人の手や智恵や知識を借りながら、あちこち手を広げて収拾着かないとかを経ながら。

 

 

だからなのか。

身の回りにいる人達に、ものすごく、「二分」されたものを感じる。

 

 

よく、「世界が分かれて、交わらなくなる」という話があちこちで語られているのを見かけるけれど。

なんだか、そのミニ版を実体験しているような気がしてくる。

 

 

そんな中で、考えていたこと。

 

 

私がまだ持っていない知識や技術を備えている人と、うまい具合にコネクトできるのが、今までの私の流れ。

「絵」という一本の縦糸に、様々なジャンル、技法、世界観の横糸を、人から織り込んでいただいて、今まできた。

 

私は、世界のあらゆるものは深層で地下茎のように繋がっている…というのを、ことあるごとに体感してきた。

だから、どんな発想であっても、自分自身の唯一のもの、という風には全く考えていない。

作るモノ以外の、思想的なことであっても。

必ず、どこかに、そのタネとなる集合記憶の飛沫がある。

 

そういう世界観だから…なのかも知れないけど。

 

周囲にいる人の発する言葉が、ある日突然、はっきりと、二つの派に二分されていると気づく…ていう体験が、たびたび起こる。

 

この話は、自分が今「実践できているか」「体現できているか」ということとはあまり関係のない。

もっと無意識的な階層で起きていることで。

それが三次元的にはっきりしたカタチを取って出てくるのが、人の言動。

 

自分で気づかないところを、人が見せてくれる。

だから、「人は鏡」なのだ。

 

 

上に貼ったTwitterの投稿3つ。

 

ふと、気がついたのだな。

 

「プロ」という呼称は、実にいろいろな感情をかき立てる。

その中には、劣等感もある。

 

それを強く持っている人の口からは、決まって、同じ表現が出てくるんだ。

 

「プロじゃないから」

 

たとえば。

 

長く一つの技法を続けている人に、そのジャンルのことで質問をする。

 

プロであるかどうか、というところに劣等感がない(実際にプロかどうか、というのは関係ない)人は、知らないことを聞かれた時

「やったことがないから知らない」といった、自分の経験値の中から答えを提供できない、という意味のことを答えるのだ。

 

が、劣等感がある人は、それはもう判で押したように、決まって

「プロじゃないから、そこまでは」という言い方をする。

 

プロだって、全方向網羅しているわけがない。

カバーできないところは当然、あるわけで、そこに対する質問が来た時に、そのことを伝えるだけだ。

 

だけど、自分が答えられない理由を「プロじゃないから」というところに求める人達が一定数いて。

ある程度「作品を売る」ことや「教える」ことを実際にやっているとしても、そういう答え方をする人達というのがいて。

 

それはまるで、「自分が知らないこと、できないことがあっても、プロじゃないから許されるべき」と言っているようで。

 

 

どうして、この人(達)は、イチイチ、プロじゃないということを押し出してから「知らない」と言うのだろう…と、度々不思議に思っていた。

知らないことは知らないでいいのに。

今までに「プロなら知ってて当然なのに!」という反応をされてきてイヤな思いをされてきたのかも知れないが。

それにしても、こういう答え方をする人と、しない人は、ハッキリ二分される。

プロでないのが明白な人でも、そんな答え方をしない人達も、たくさん知っている。

なんでだろう。

 

って、ずっと思っていた。

 

 

プロになりたかったけどなれなかった…いろんな理由で。

プロになりたいと思っているけど無理だろうなと諦めている…いろんな理由で。

「プロであるかどうか」ということに対しての劣等感が根底にあるかどうかで、それを言い訳に使うか否かも、二分されているのだ。

 

 

プロでないことを理由の第一に持ってくるって。

それは、ずるいやり方だ。

 

私は、そう思う。

 

そして、そんな姿勢…そういう意志だから、「本当はなりたいプロ」には、一生なれないのだ。 

そして、ずっと、「プロじゃないから」と言い続けるのだ。

 

 

 


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