旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

神仏は何のために人間界に姿を現すのか...見せる必要はないのに

ゆるふわだなあとか、お花畑だなあとか。

他人を見て、思うことがあるのだけど。

きっと、私も、他人から見たら十分に、お花畑の住人なんだろうなぁ。

 

ふわふわしたのが嫌い、と言って、ぶった斬ってることが多い友人もいるし。

 

ふわふわとか関係なしに、全方位に向かってぶっ放す準備をいつもしている、という人も知り合いにいる。

 

どっちかっていうと、私も彼・彼女らに近い領域にいる…のだけど。

でも、一方では、卵のカタチした石にナンかが宿る…みたいな話をサラッと、受け入れて(しかも自分でも「ここにはコレがいる」とか勝手に確信しちゃったりして)いたりして。

天使がどうとか、妖精がどうとかいう話も、別にサラッと、受け入れちゃったりして。

 

ふわふわスピ、とか、よく言うけど。

そして、私も昔、かなりキッツイ文体でそれをさんざんディスってきたんだけど。

 

結局、何がどう違うのか…なんて。

もっと外側にいる人達からは、全然、わからないだろうな、って。

 

思ったね。

 

 

 

そして、私自身にも。

一体、何が違うのか????

わからないね。

 

 

一つハッキリしてることは。

人間て、自分が気に入ってる人や気に入ってる場でされる教えや発言を、気に入る。

ってこと。

 

この人達を、すごく好きだ。

でも、あっちの人はなんか、イヤな感じがする。

だから、言ってることは同じようなことでも、あっちの人達の言ってることは、なんだか違うような気がする。

 

ヘタすると。

邪悪に感じるとかね。

 

 

境界線て、曖昧だなあと思う。

 

 

だからこそ、少なくとも、小ずるい、こざかしい言動は、しないに徹したい。

 

頼もうとしていることを、言い方を操作して相手の方から言わせる…とか。

思うようにコトが進まなかった時、言を弄して当事者の位置から逃げようとする…とか。

相手の好意や熱意につけこんで、都合よく動かそうとする…とか。

 

 

 

私は、見たから。

見えない世界の影響で(あるいは、そうだと思わせた何者かの影響で)手に負えないほどに人格変異を起こしてしまった若妻/娘を、心配して、一本の糸にすがって引っ張り起こそうとしている、必死に「願う」「祈る」しかない人達の顔を。

 

神仏は何のために人間界に姿を現すのか。

別に、見せる必要はないのに。

時折姿を見せたりするから。

余計に、必要のない人達までもが、それを見たくて、手に入れたくて。

利用したくて。

 

忘れる必要があるから忘れて生まれるなら、最後の瞬間まで思い出さないようにしておけばいいものを。

 

 

だんだん、慣れてきて。

楽に、制作を進められる確率も高くなってきて。

初期の頃のように、スケッチ一つ起こしただけでノックダウン…みたいなことも、なくなってきて。

 

それ故に。

安易さが、定型に逃れたくなる気持ちが、手先でどうにかできるような錯覚が。

 

どこかで、怠惰になっている。

 

そんな、気がする。

 

 

 

すごく久しぶりに参拝した神社がある。

近いところを絶えず、通っているのに。

立ち寄る、ということはずっとしてなかった。

 

私には、縁を強く感じる神社なのに。

 

今日、目的地とは逆方向だったけど、足を向けてみた。

 

白くて細長いもふもふの「ナニカ」は、なんか妙に興奮してた。

毛先が、パリパリいってた。

静電気みたい。

 

私はすごく静電気を溜めるので…だから寄って来たんだろうか………

 

https://www.instagram.com/p/BQrgxBRFkVG/

那古野神社#神社

 

 

 

すごく久しぶりに、最近、問うてなかった問いを、拝殿で問うてみた。

この神社では、よく、答えらしきものがやってくるので。

 

答えは返ってこなかったけれど。

白いもふもふが、飴みたいなものをもらって喜んでた。

 

まあ、いいか…。

 

 


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