値付けのモトがどこにあるか…を考える頭に、私の手が突きつけた「回答」/「この貸しは高くつくぜ」という話
「この貸しは高くつくぜぇ」ってヤツ。それを言う彼らは己の価値に高い値段をつけている。どういう基準で算出するのだろう。自分の値段って、どうやって決める?
— 異界絵師 緋呂@神と龍と魂を描く人 (@HIRO_eshi) 2017年1月20日
@kokeC_takeC でもさ、この通りのことを言ってなくても、同じ意味の言動をガチでしている人はいるよ。っていうか、商売って結局、そういうことなんじゃないの?
— 異界絵師 緋呂@神と龍と魂を描く人 (@HIRO_eshi) 2017年1月20日
@HIRO_eshi この言葉単体なら冗談に聞こえますが、そういうことじゃないんすね。となると、やっぱりその価値付けの源は自信ですかねー。
— たけC (@kokeC_takeC) 2017年1月20日
ここんとこ、ちょっと真面目に今後の活動を「シゴト」とか言わずに「商売」として考えなきゃね…という機運になっておる。
そうすると、焦点の法則よろしくで、それに関係する話題がコロコロと、転がってくる。
一番大きかったのは、これだ。
この企画をめぐっては、実にいろんなことを考えた。
いろんな人が。
それについては、また改めて、もう少しじっくり、書く(たぶん)として。
その「考えた」中で呟いたのが、冒頭に貼ったツイート。
「この貸しは高くつくぜぇ」って、そりゃあ、こんなマンガ候なセリフをガチで吐く人間がいたら、逆に会ってみたい。
けれど、たけCへの返信に書いた通り、結局これと同じ意味のことを、世の中はみんな、やっているんじゃないのか?
って、思う。
買う人はお財布から金を出す。
すると、その分、その人の「現金」なり「通帳の数字」なりは、減る。
商品を仕入れる/開発するために「減った数字」は、「貸し」でもある。
だから、上乗せして回収する。
その上乗せ分が、利益。
結局、そういうことだよね?
たけCは、「やっぱりその価値付けの源は自信ですかねー。」と、回答をくれた。
けれど、今のところ、私はこの「自信が価値付けの源」説には、しっくりこない。
自信なんてものは、極めて主観的であやふやなものだ。
ちょっとしたことで、急にふくれあがったり、しぼんだりする。
そんなものに左右されての値付けで、いいと思えない。
ある、絵で生活している人が、時給1万円で換算している…と、答えているものを読んだ。
1時間で出来上がるものは1万円か?
だとしたら、私の30分で仕上がる龍画は5千円?
いやあ、そういう問題じゃないだろうよ。
時給換算は、結局、消費の考え方から出ない。
私は、神絵も龍画も、最低価格を決めている。
絶対にそれを割り込まないこと、というのを、厳命にしている。
時間がどれだけかかったかは、関係ない。
かといって、どれだけ苦心の作か…というのも関係ない。
今は、「大きさ」ベースで考えることにしている。
実際問題としては、大きいものが大変で小さいものは楽、っていうことは絶対にないけれど。
それは、「時間がかかったものは、かかってないものよりもデキが良い」ってのが全く当てはまらないのと理屈は同じだ。
「これくらいの金額なら、人が手に取りやすいのではないか」
そんな発想での値付けをしないことに決めた。
いや、実は年末までは、その考え方を捨てられなかったのだけど。
今年の自分のテーマを「唯一無二」とした時に、そういう発想は断つべきだ、と思った。
値付け以外のことにおいても、である。
私は、手が…手だけが、見えない世界と行き来する。
この手が、あちら側へ行って、そこから何かを掴んでくる。
それがなければ、絵(作品)として顕現しない。
それは、私個人の自信がどうとか、業界的な基準がどうとか、時間給がどうとかいう話で補えないところで。
私の頭がどう考えるかにすら関係なく、私の手が顕現させる。
結局、私は、「この貸しは高くつくぜ」と、自分の手に、常に宣言されている…という状態なのだ。
おっと。
なるほど。
そういうことか。
文章も手主体で書いてる時があるのだけど。
今、まさに。
そういうことか。
私自身はどうにも納得しがたい、自信も微妙…な金額設定は、手に対する貸しだからか。
それで、常に、頭が考えるよりも上の数値を、「私以外の、値付けを任命された人」が、はじき出してくるのだ。
うわあ。
怖ぇぇぇ………
那智石硯触ってると、すごいゴキゲンなの、この手。