他人に指導や道案内を乞う前に、己の決意を再確認すべし/「仮に、それでうまくいかなくても」のセット
人に教えを乞う時。
引っ張ってもらいたい時。
支えがほしい時。
転機を前にした時。
第三者に、道案内を頼みたい時がある。
師匠を、教師を、先達を、アドバイザーを、時にはコンサルタントを。
選ぶ。
「よし、ここで教えてもらおう」と決める。
そう決めたなら、その決意には、「仮に、それでうまくいかなくても」というのを、セットにすること。
それが、人に「道を預ける」時の極意。
棚ボタ的結果だけ思い描いて安易についていこうとするから、あとで恨み言が出る。
こんなはずじゃなかった。
うまくいかないじゃないか。
損した。
金返せ。
そんなことを、思うアンタがバカだ。
その相手に預けた時点で、自分だけで対処する時にはなかった「不確定要素」が入り込む。
自分ではない人に決定のための選択肢を提示してもらうのだから。
なぜ、自分ではない人に選択肢を提示してもらおうとするのか…といったら。
自分だけでは開けないであろう未来を手に入れるためだろう?
その選択に失敗し、望まない方向に行ったとしても、それは結果論でしかない。
コンサルタントに依頼して、指令がなかなか来ないと言って文句を言う。
そんな話を聞いて、「バカじゃねーの」と思った。
悪い方に転んでいない限り何も指令が来なくても、おかしくはない。
その相手に提示されたミッションを進めているのならば。
アクションを起こしてないか、起こしたつもりになってるだけで何も進んでいないなら、次の指令などないに決まっている。
それは、コンサルタントが悪いのではなく、クライアントの怠慢だ。
指示がくる前に、進捗を確認して指示を求めたいのなら、それを自分から提示するのが筋というもの。
定期連絡以外の時にも何かのアクションを期待するのなら、それなりの交渉がいる。
金払ったからって、何もかも指示してもらえると思ったら大間違い。
で、そんな風に思っている人ほど、なぜか、うまくいかなかった時にコンサルタントを責める。
やりもしないで。
もし仮に、コンサルタントの働きが期待したことと違うなら、それをきちんと話しあい、契約を解除するなり方向を変えていくなりといったアクションが必要。
クライアントにはクライアントの仕事ってものがある。
それは、「なんで〜してくれないんですか?」という形で発する種類の話ではない。
自分はこういう期待をして、こういうことを指導され、こういう動きをしたが、自分の望む方向に進んでいない…ということを、ちゃんと説明できなきゃならない。
それがクライアントの仕事だ。
「自分はあなたに、こういう結果を期待して、これだけの費用を払うことに同意したのだから、それだけの仕事をしろ」
それを、感情に任せて、構ってくれない的にゴネるのは、そもそもクライアントとして以前の怠慢だ。
何かを教えてもらうために指導者につくなら、つく前に、相手が何を思ってどういうことを教えているのかをある程度把握するのは当然。
講師や指導者は母親代理ではない。
面倒見てくれる人がほしいなら、そういう想定の人を探す必要がある。
適性も考えず、その指導者が提示も想定もしてない働きを求めて、叶えられないからと言って暴れる人がいる。
バカはアンタだ。
世の中には、無能なのに有能だと勘違いしている指導者もたくさんいる。
それがわからずに着いていこうとしてしまうのも、「その時の自分の力」がそうだった、ということだ。
もちろん、そういう無能な輩をのさばらせないためのアクションは必要だけど。
そのことと、クライアント(指導される者)としての仕事をしたかどうか、というのは、別の話だ。
そして、無能かどうか、というのは、最終的には「自分との相性問題」でしかないというのもまた、一面の真実。
気持ち良くなりたいだけなら、そういう対応をしてくれる人を探せば良い。
もとから辛口放任な人に指導を求めておいて、ロクに教えてもらえないと怒るとか、筋違いもいいところだ。