間違うことを怖れる…それは人の本能に敏感だから起こること。間違いを経験に変えるために
間違った道を歩いたならば、その間違いを取り戻すためには、同じだけの年数(工程数)が必要になるんだよ。
焦って、一足飛びに取り戻そうとしても、そうはできない。
それが、この世界の仕組み。
言葉をいくらつくしても、
間違った信念を本物と思い込んでいる間は、
誰が何をどう話してもだめなような気がします。---とある人が、とある人へ送った書簡の要約
きっと、人は本能で、この仕組みを知っているのだ。
だから、臆病になるし、迷ってしまうし、なかなか踏み出すことができないし、決断もできない。
けれど、人には、「失敗を経験に変える」ことができる智恵がある。
「一足飛びに取り戻そうとしても、できない」
つまり、ちゃんと、一つずつ、やるべきことを正視して原点に立ち返ることができれば、間違えてしまった工程も経験に変えることができるのだ。
「今やらずしていつやるの?今やらないヤツは、永遠にやらないままのバカだよ」
っていう論調に、更に怯えてすくんでしまう人達がいる。
間違ったら、間違った分と同じ工程数をかけなければ間違いを回収することはできない。
次に進むのは、その後になる。
本能でそれを知っているから。
怯える人達は、本能により、敏感な人達だ……とも、言えるかも知れない。
四の五の言わずにやってみろ。
私もそう言う派の一人だ。
けれど、数年前までは、そうではなかった。
まず、最初に「超えるべき境界」は、踏み出すことではない。
って、私は思う。
踏み出す前に、「自分は間違った選択をしていた」ことを認めて、それがどういう結果を引き起こしてきたのかと向き合うこと。
それをしないまま、思い切りで飛び出しても、「間違ったことをしていた行程」が消えるわけではなくて。
むしろ、「間違ったところから、更に飛び出す」ということになるので、より、遠ざかる可能性がある。
自分の間違いを正視するのは、厳しい行為だ。
けれど、そこから逃げても、間違いを「経験に変える」ことは、できない。