フデヂカラが見せる幻想と、実態のズレ…表現者にとっては大問題
人を応援する、ということを、この数年ずっと考えながら過ごしてきた。考え方も捉え方も、自分のそれに対する姿勢も、いろいろと移り変わってきている。ここんとこ、また、少し見方が変わってきた感じ。その変わって来た視点に照らすと、いろいろと対応の仕方も変わる…そうならざるを得ない。
— 異界絵師 緋呂@神と龍と魂を描く人 (@HIRO_eshi) 2016年12月13日
「賞賛する」と「応援する」って、違うよな。惜しみなく賞賛をおくるって、相手の力になると思うんだけど、逆に腐らせる原因になることもあるなーと。植物に水や肥料やりすぎたら腐るのと同じ。花を上手く咲かせるにはギリギリまで水やらない。
— 異界絵師 緋呂@神と龍と魂を描く人 (@HIRO_eshi) 2016年12月14日
このことについて、じっくり話をした。
お相手は、この道ウン十年観客席に座り続けてきた、芸事世界の「観る達人」。
文章の達者な表現者は、その達者なフデヂカラで、人をいかようにも、巻き込む。
巻き込む力が強いと、自然に人が集まる。
信者みたいな人も現れる。
(いきすぎるとストーカー化して危険…)
ただ、そのフデヂカラでもって表現されている「世界観」や「人生観」や「その人本来の土俵に立ち返った時の力」は、実態とズレていることも、案外多い。
悪気があってズラしてる人も、まあ、いると思うけれど。
多くは、ズレている意識もないままに、語っていることと実態がズレてきてしまってる。
芸事を観る達人さんは、ずっと追っていた舞台役者さんが、どうも、「チヤホヤされすぎ」て性に根腐れ感が出て来ていて、見ていて腹がたつ…と、話してくれた。
その道の芸としては未熟なのに、アイドル的に人気が先行してしまい、それにあぐらをかきつつある…と。
上に貼った私のTwitter投稿は、全然別件で思っていたことだったのだけど。
たまたま似たような感覚が重なった。
慢心、というのとは、なんか、ちょっと違う気がしている。
本来その人が見せるべき本筋のところではないところで人を集めてしまうと、ズレるんだと思う。
そういう意味では、私も、強気に言い放つブログやら呟きやらが作品よりも先行しているきらいがあるため、注意はしている。
そこでズレを起こさないように、絵でも造形品でもなんでもいいけど、もう少し見せられるものを小まめに作って、そっちの露出度を高くしていかないといけない。
…のだ。
ホント。
こんな、やってる最中の画像とか動画とかも、マメにあげていくようにしたいな…
来年は。
(あ…鬼、鼻で笑った………「やるやる詐欺もたいがいにしとけや」って顔された……)
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