戦って磨くべき時にそれをしないでおいて、オンリーワンになどなれるわけがない
戦わなくていい、という「オンリーワン」思想が人をダメにするのかもしれない。正しい戦いというのも、変な表現だけど。そういうものがないと、伸びしろがあることにすら気がつかないままで終わってしまうんじゃないだろうか。オンリーワンを目指すのは、ナンバーワンになれないから…は違うよね。
— 異界絵師 緋呂@polca支援募集中 (@HIRO_eshi) 2016年10月6日
頂点を目指していく中で、どこかで一人だけの分岐点を通り過ぎ、だからオンリーワンになるんであってさ。最初から、一人だけの世界を極めようってのは、なんか違う。逃げ道を、もっともらしく言ってるだけだよね。自分の土俵を作らねば戦えない、と知るには、大きな土俵で戦った経験が必要だよ。
— 異界絵師 緋呂@polca支援募集中 (@HIRO_eshi) 2016年10月6日
結局のところ、人間というのは社会の中で生きていくようにできているのだから。
オンリーワンったって、全体の中での比率の問題でしかないのだよ。
唯一無二、というのは、人間全員が等しく、存在としては唯一無二だ。
ただ、それと、ある道筋において、どれくらいの希少性があるのか…ということは、全然別問題。
切磋琢磨という言葉もあるように。
大きな土俵を戦って磨かなければ、ナンバーワンはもちろんのこと、オンリーワンにだって、なれない。
そんなことを、とある塾対決的プレゼン大会に臨む人達の予選動画を見ていて、つくづく、感じた。
みんな、自分がやっていることを、ナンバーワンでもオンリーワンでもなく、まだその途中だということを知っていて。
だからこそ、磨こうとしている。
それをしない限り、ナンバーワンにもオンリーワンにもなれないことを、知っている。
よき先導役と、よき戦う仲間。
それを見せる場。
そういう条件が揃って、それを無駄にせず活かす。
そういうことの積み重ねで、ナンバーワンにもオンリーワンにも、なれる可能性がある。
オンリーワンを、ナンバーワンになれないところからの逃げ道と思っているのなら。
それは、大きな間違いだ。
すごい人がいっぱいいて、その土俵で戦えないと思うなら、自分で土俵を創ればよい。
— 異界絵師 緋呂@polca支援募集中 (@HIRO_eshi) 2016年10月6日
それも、磨いた後にこそ、可能になることだ。
全員一等賞なんてバカげてる。
社会はそんな構造には、なってない。