「満たせない条件」ばかり見ていないか?規制をかけているのは自分でしかない
特定の誰かのことを言っているのではないので、「わたしのことですか?」という疑問には鍵をかけてほしい。
(その類いのコメントは要らない、という意味ですよ)
これは、おそらく、私があまりにも、「なんでもいい」「どうとでもする」が習慣になりすぎているから思うことなのだ。
色んな面で、「あなたはレアケースだから」と言われることが多いのだけど。
ホントに、ここ最近も、それを何度、何人の人から言われたことか。
もうカウントもしてない。
つい最近も、「みんなが自分と同じようにモノゴトを見るものだなんて思っちゃいけないからね」と厳しめに言われてきたのだが。
けれど、自分自身にとっては、その「レアケース」が普通なので。
そもそも、何がどうレアなのかも、わからない。
人は、己という枠の中からしか世界を見ることはできない。
その外を「想像できる」ように、他人が鏡の役割をしてくれる。
でも、あくまでも「想像している」にすぎない。
自分の枠の中で。
だから、本気で、わからないことがたくさんある。
あなたの言う「これがないと」や「こういうのがいい」は、本当に、そうなのか?
本当に、そうでなければならないのか?
本当に、別の手段で同等かそれ以上の表現を実現することはできないのか?
というか、そういう可能性を考えたことがあるのか?
ないとしたら、なぜ、考えずにいられるのか?
一つのゴールへ辿り着くための道筋は、無数にあるのに。
限られた条件の中で、自分の希望を満たしたい。
より、希望を満たすように近づけたい。
そういう時に、「満たせない条件」ばかり見ていないか?
満たせない条件があるとしても(というか、そんなものは、どんな時どんな場でも、当たり前に出てくるものだ)
どうしても、それが満たせなければ、実現は不可能なのか?
満たせないなら、諦めるのか?
または、満たしてもらうことを、あくまでも、通そうとするのか?
そんなことに費やすエネルギーがあるのなら、満たせない条件はそれと受け入れて、他の満たせる手段で実現できることを考える方が、結果的にはうまくいくのではないか?
思い描いていた条件が満たせなかった…という現実があったおかげで、当初の予定よりもずっとよい成果を導き出せる可能性を見た方が、よっぽど、楽しくないか?
なんだか、己自身で無意味に規制をかけている人が多いような、印象。
あなたの「現実化したいこと」は、本当に、その条件がないとできないのか?
違う道を通って同じゴールに着く…ということは、あり得ないのか?
一度でも、そういう可能性を考えてみたか?
やってみたのか?
最初から、「あの条件が満たせないのなら無理」と思い込んでるだけなんじゃないのか?
唯一無二の道なんて、世の中そうそう、あるものじゃない。
(でも、他の道を試してみたことがないのなら、唯一無二の道と化してしまう)
もし、そんなこと考えたことなかった…ということに、気がついたなら。
今からでも、「もし○○が**だったら」を、常に考えるようにしてみようよ。
「これしかないのなら、これでどうにかできないかな」を、考えるようにしてみようよ。
あるよ、手段は。
必ずある。
それを見つけられるかどうかは、日頃どれくらい「もし○○が**だったら」妄想と遊んでいるか…というところに、大きく左右される。
こんなのは、誰にでもできることだと私は思う。
もし、私が多少でも人より多くそれを考えるとしたら、妄想の時間が人よりも多いからだ。
ただ、それだけのことだ。