旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

理解も知識も、向かう方向は「過去」

わかる

知る

理解する

 

また、それらを他に言い換えた、あらゆる表現

 

 

それらの矢印は全て、過去へ向かっている。

 

 

「今」ですらなく。

過去に通ってきたことを、後から素材とする。

 

感情も、過去だと思う。

 

「今ここ」ってのが流行したけど(まだしてる?)

今この瞬間、というのを固定することはできない。

 

過去に起きたことへの反応として、感情が沸き起こる。

 

未来を想像しても沸き起こるけれど、それらも全て、過去の体験を踏まえて沸いてくるのであって、やはり矢印は過去へ向いている。

 

まだ見ぬ世界を想像して、期待(あるいは不安)を高める…そんな時はどうかって?

 

いやいや、それも、過去に起因している。

「過去に体験したことがない」が、発端なのだから。

 

 

だから、この世は全て幻想…みたいな話が生まれるんだと思う。

過去は今ではなく、すでにここには存在しない…つまり残像だから。

 

 

未来へ矢印が向いているのは、「察知」とか「予知」の類いだろう。

虫の知らせ、第六感…そんな類。

 

でも、そこには感情は存在しない。

理解も、知識も存在しない。

 

それらは全て、遅れてやってくる。

 

 

整理、整頓

これなんかは、完全に過去に対面する行為だ。

 

分析、検証

これも、そう。

 

評価、判定

これも、そう。

 

 

そう思うと…。

もうどうでもいいや、って思えている様々な事柄は、どれも「過去」へ矢印が向かっていることなのかな、と思えてきた。

 

では、「今」を表すのは何か…というと。

 

私の感覚では、それは「混沌」だ。

 

何にも囚われず、整理もされず、分類も判定も評価も存在しない。

 

濃い雲の中に立つ。

そんな感じ。

 

未来は、雲の粒子の一つ一つの中にある。

 

 

 

混沌、という言葉にネガティブなイメージを持つ人は少なくない(ように思う)

 

どうしてかな、と、考えてみたけれど。

 

もしかしたら、残像ではないものがそこにあるから…なのかも知れないな。

 

(って、他の人がどう感じるかなんて、私にはわからないけどね)

 

 

 


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