旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

ジ・エンドのマークを打つ ジプシーも鐘の鳴らし手も、根は同じ夢子である

過去に自分がしてきた主張を、真っ向から否定するような感覚が、急に沸いてきた本日。

 

セミナージプシーとかって、言うじゃん?

学んでる自分が好き!みたいな感じなんだよね。

次から次へと、高い受講料払って、あっちのセミナーこっちのセミナーと渡り歩く。

学んでいる、ということが大事だから、学んだことを深めるとか、定着するとか、自分なりに活用していくとか、それで仕事するとか。

そういう、「受けた後のこと」は、とりあえず、ニンジンとしてぶら下げてあるだけで、実際には事後行動には至らない。

 

仕事としてやる、という前提で受けたので、一応メニューを作ってはみるけど、結局活かすところまでいかないで、次の「何か」を、探しに行く。

 

チルチルミチルの青い鳥…ならぬ。

 

どこかで見つかるハズの、キラキラなワタシ。

 

 

んで。

そういう人らをカモる講師やイベンターってのが、いるわけで。

彼らはとっても巧みに、そんな夢子さん達を虜にするんだな~。

 

 

…という、「セミナージプシー」

 

 

これが、すごい嫌いだった。

この構造自体が嫌い。

カモる側には腹が立つ。

けれど、いともたやすくジプシーになる人達には、もっと、苛立っていた。

 

そんなのはダメだ、と、言ってきた。

やめておけ、と、言ってきた。

 

 

 

 

なんだけど。

 

今日、なんか急にね。

 

 

「いやもう、そんなの、どーでもよくね?」

 

って、思っちゃったのだ。

 

 

ジプシー中の人達は、学んでいる自分が好き。

カモってる人達は、夢子ちゃんの夢に栄養をあげることで儲かって、両者めでたし。

それで、いいんじゃね?

 

もちろん、中には、それなりに状況をわかってて、抜けだそうと模索中の人もいる。

みんながみんな、キラキラが好きな夢子ではない。

そういう人達は、適切な助力があれば、すぐにそのループから抜けられるハズ。

なのに、抜けられては困るから、抜けられないように罠をはったり、コントロールするわけだ。

それが、ムカつく。

…だったんだけど。

 

まあ、それも、よくないか?

抜けようと本気になる人は、助けなんかなくたって、抜けていくんだ。

助けが来ても、抜けない人もたくさんいる。

 

結局は、その沼の中にいることが、好きなんだから。

よくない? それでいいんじゃない?

 

中には、カモってる相手を神様女神様のように讃えちゃってる重症さんもいるけど。

まあ、それも、楽しそうだよね。

愛憎ごった煮の中で、いい具合に煮染められてて。

 

 

いいんじゃない?

好きなことやればいいよ。

 

 

なんか、そういう風に、思ってしまったの。

警鐘?

けど、それもきっと、鳴らしてる(つもり)側の、自己満だし。

 

昔、自分がそうだったんだよ。

なんか、自分はわかってる人間な気分になって、気がついてるヤツが言うべきじゃないのか…とかね。

思ってたことがあった。

 

けど、そんなのは、所詮は自分酔いだよ。

 

自分が本来やるべきことを正視せずにいる、都合のいい、錦の御旗。

 

 

 

数年前は、セラピストさんとか、心理学系が人気だったよね。

スピリチュアル系も、ゴマンとある。

起業をネタにしたものも、ここんとこ、多い。

昔からそういう商法ってあるけれど、今はインターネット使って浸透する。

実はバックについてるのは新興宗教…とかいうのもあるし。

新興宗教すら看板で、後ろに控えてるのは「社会の闇」な業界だったりね。

 

怖いことが控えている時だって、あるよ。

 

だから、何のために学ぶかしっかり、考えて。

どこまでやったら一旦終わるかも、決めて。

あとは楽しくやればいい。

 

それをさせないのが、ジプシーを作りだしてる状況だ…と。

まあ、そうなんだけど。

 

なんかね。

インターネット以前の社会ならば、なかなか知り得ない情報もあるから、理解もできる。

けれど、今の社会で、そんな仕組みも知らず(知ろうともせず)ズブズブ嵌まっていっちゃうのは、あんまり同情もできないね。

 

 

でも。

本来自分がやるべきことと正対するのを避けたいと無意識に思っている時って。

そういうことを、警鐘を鳴らすとか、したくなるものでさ。

もちろん、警鐘を鳴らすことが、その人がもともとやるべきことだっていう場合もあるから、そういう時はいいけれど。

私の場合は、明らかに違ったから。

 

鳴らす役割をもともと持っている人に交じって、なんか、そういう「特別席」をゲットしたような気分になっているだけの、別の現れ方しているだけの「夢子」だよ。

 

 

もう、そんな時間は終わったのだ。

 

遊ぶなら、もっと違う遊びをしようじゃないか。

 

(と、豪語してみる)


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