「本気」という言葉の景色は、どう違う?
本気
って、何だろう。
本気
って、どこを、どのようにして見た時に、本気だと思えるのだろう。
他人が、誰かに、「本気になれよ」と言うとして。
でも、言われた本人は十分本気のつもりでいる…と。
そんなことは、世にザラにある話。
言われた方は、どうしてそう言われるのか、よくわからない。
言う方も、その段階ではわからないであろうことは、おおよそ想定している場合が多い。
一体、何をどう見て、「あいつはまだ本気じゃない」と、感じるのか。
私も、時々、本人は本気のつもりだろうけど、まだ違うな…なんて。
エラそうなことを、思う時がある。
そして、逆にそれを言われたことも、ある。
もちろん、言われた自分は、十分本気出しているつもり…の時だ。
言う方は、理由は言わない。
言われた方は、聞けたとしても、理解できないか、違った解釈に無理矢理納めようとする。
そういうものだ。
私の「本気」と、あなたの「本気」は、果たして…同じモノを指しているのか?
高層ビルの1階と最上階は、同じ位置にあっても高度が違い過ぎて、見る景色も見ることができる景色も、全く違う。
きっと、両者の使う言葉は、それくらいに、違ったものを内包しているのだ。
それは、同じ言語を使っていても、全然様相の違う…噛み合わない世界。