加賀屋流儀から考える、「世界を創りあげる」という道筋
日本一の旅館、加賀屋の流儀を書いた本を読んでの記事、その2は「世界を創る」がテーマ。
前回はこちら。
加賀屋は、泊まる箱というよりは、小さな国のようだと思った。
世界を創り上げ、そこに人を呼ぶ。
その世界に、客を染め上げて、またそれに染まりたいと思わせる。
思うに。
私が、やるべきことも、そういうこと…なんではないだろうか。
世界を創り上げること。
それを現実のものにしたのは、創業者夫妻の…特に初代女将の理念に他ならない。
今から2年ほど前にも、「世界観を、いかに徹底的に創り上げるか」が大事だ…と思った時期が、あった。
ちょうどその頃、見事に世界を創り上げている事例に続けて、出会っていて。
こういう世界の創り方は、見習うべきだなと感じた。
しかし、カタチだけ模倣しても、単なる粗悪劣化コピーになるだけだ。
それを、自分流儀で創り上げるためには、自分ならではの理念が必要になる。
ちょうど、あかり玉と絵を、いかにして一つの世界にまとめるか…というところに少し答えが見えて来たところだ。
こういう、自分ならまず手に取らない内容の本を読む機会を人からもらって、世界を創るということを考えた。
今は私は、自分の考えが及ぶ範囲以下のことしか、思い描くことができない。
だから、その範囲のことをやっていくしかないのだけれど。
その外側からのヒントというのは、出してくれる人が入れ替わり立ち替わり登場するので、特に心配していない。
むしろ、今の自分が「世界を創りあげ、そこに人を染める」という発展形のために何をするのか、ということが肝心。
思いつくことをやってみる、というのは今までもしてきたけど。
これからは、「世界を創る」に絡んだアウトプットの仕方というのを、考えていく必要がある…ということか。
加賀屋の本と全然違うところが今回のテーマだったけれど。
このテーマを考えるために読まされた本、っていう気がして仕方ない。