弱気でダメな自分が嫌いな人に贈る、空洞だからできる光の凝集型
今日は、新しいひょうたんを前に置いて、にらめっこしてのだけど。
モチーフこそ決まってるものの、手が線を引き始めないので、中座ばかりしているのである。
まあね、こんなことは、よくあること。
カネとって作るヤツがそんなことよく言うな、って思う人も当然、いるはずだけど。
どう言われても、無理矢理作るってことはできないので、テヘペロで済ますしかないのだ。
そして、それを許せないと思う人は、そもそも私とは合わないのだから、近づいてきてくれなくてけっこう。
そんな強気発言も、自分のテリトリー内だからできること。
外に出れば、ヨワヨワなのである。
私は大きなコトばかり、強気発言ばかしてるので
(実際には、グタグタなダメ発言も多発しているんだけどねぇ…)
すごく意志の強い人のように思われているかも、知れないんだが。
期待を裏切って申し訳ないのだけど、うっかり弱気になると自分が真っ先にその気配に呑まれるので、寄せないようにしているに過ぎない。
つまり、虚勢だ。
気合い入れてないと、想像を絶するような真のグダグダと負のスパイラルに陥るので、そうならないように、普段から意図的に強気に出ている。
だから、疲れる。
長い時間、寝る。
ショートスリーパーが羨ましいと思う。
昔は短くても良かったから、それだけ衰えてもいるのだろう。
合わないのだから来なくていい、と言い放つのは、多くの要望に応えることができないからだ。
応えられる方が、いいに決まってる。
でもできない。
故に、最初に、この線超えて来る気のある人だけ来てくれればいい、って看板出しとくのだ。
それほどの能力もセンスも才能も、ない。
それも、わかっている。
だから複合技を編み出すしかない。
それを、もっともらしく見せるために、己の枠を、自ら作っていっている。
実際の私自身なんて、無力で気の弱い泣き虫なガキのまんまだ。
ただし。
それを、否定しない。
自分の本質が、そんなしょーもない小者だということを、忘れない。
外側に作ってきた枠組みを、自分自身の姿と錯覚するところから歪みが出てくる。
殻を本体だと勘違いすると、見誤る。
たまに滅多斬りされると、逆に安心したりするんだけど。
怯む自分を実感できるから…かも知れない。
本体の在り処を感じるから。
ひょうたんって、生の時は、身が詰まっているんだよ。
それを、腐らせて中身を抜き取り、空洞化させて使う。
意図的に殻を構築してきた、それを別に隠すことだとも思わない人間が、いろいろ手を出した末にたどり着いた素材が、自分と逆の性質のものだ…って。
世の中って、面白いように出来ているよねぇ。