描き手にモノを言えるのは誰だ?
仲間内で話をしていて、
「描き手にモノが言えるのは、金払った奴だけ」
という話になった。
うん、そうだね。
確かに。
金を払った=お客さん
だから。
注文主は、描き手にモノを言う権利がある。
…で。
帰り道、それをずっと反芻しながら運転してきて。
私自身の定義は、ちょっと違うな…と、思った。
私の定義は、こう。
「金を払うからって、モノを言える範囲は限られている」
「金を払ってないからって、モノ言ってはいけないってことはない」
「ただし、いずれの場合も、<聞く気>がある時だけ…というのが前提」
ってこと。
つまり、私の場合は「たとえ客であっても、こちらが聞く気がない限り聞かない」し、「たとえ客でなくても、こちらが聞く気になった時は聞く」ということ。」
金のために描いてるんじゃないし。
客が至上とも思っていない。
イヤなら買わなくていい。
必要ない人に金払ってもらいたいとも思わない。
けれど、いずれの場合でも、私自身が自分のためになるな、と思える意見には、耳を傾ける価値があると思う。
そして、どれだけ大枚はたいてくれても、聞く価値ないと思える意見なら聞かない。
まとめると。
私という描き手に「モノが言える」のは、私が「聞いてもいいな」と思った相手・場合・内容に限定される。
ってことだ。
新しく作ったセルフマガジン「絵師道案内之絵巻」内の一節。
出来上がったモノと引き合う人にお渡しする。
その対価は、別に金だけじゃない。
私の場合は、ということで。
金払ってくれる人にはモノ言う権利がある…というのも間違いではない。
…というか、そちらの方が圧倒的に、仕事人として正しいと思う。
私は、正しくなくて良い。
絵は自由にならない。
絵描道上、聞いておいた方がよいと思われる意見を、金払ってない人だからって聞かない…というのは、技師としての理に反する。
私にいろんな意見を下さる皆さん。
その時の私が、その内容のどこに、「聞こう」と思うポイントがあったか…あるのか、自分にもわかりません。
少なくとも、お客さんだから聞き入れるだろう、というお考えは外してください。
師または教え/導き手/上司?だから聞き入れるだろう、というお考えも、外してください。
(どちらも、実際にありました)
でも、隣に居合わせただけな人のコトバをがっつりと聞き入れるってことは、あります。
(これも、実際にありました)
まあ、ぶっちゃけ。
知ったこっちゃねえ!
って、ことです。
だからお客さんつかないんだよ、って言われても。
知ったこっちゃありません。