美と密接に関わる学問のダントツは数学だと思う…の巻
友人と話をしてて、最近しばしば出るのが、数学の話。
私は、数学は美しいと思っている…という話だ。
誤解なきよう念入りに書いておくけれども。
学生の頃、数学って言ったら天敵であった。
それが「算数」であった時代から、とにかく苦手。
ただ、幾何学編になると、なぜか急に成績が上がった。
(まあ、私の<上がった>の範囲など最初からたいしたことないのだが…代数があまりに壊滅的だったので、それと比べたらという意味だよ諸君)
証明問題とかは、好きだったなあ~。
初歩の数学のうちは…(笑)
数学は全然できない天敵教科だったのだけど、数学的な考え方は好きだ。…といっても、何が数学的考え方なのか「雰囲気」でしか言えないので追求しないでもらえれば(笑)
— 異界絵師 緋呂@かさこ塾フェスタ出展 (@HIRO_eshi) 2016年4月19日
感情とか情緒とか絡められると意味がわからなくなるけど、国語は成績良かったよ。本当にそんなこと理解できてなくても点数は取れるから。数学には感情も情緒も関係ないけど、美はダントツに数学にあるよね。ああ、数学はほとんどいつも赤点かギリギリだったけどね。
— 異界絵師 緋呂@かさこ塾フェスタ出展 (@HIRO_eshi) 2016年4月19日
こんなつぶやきもしてたのだけど。
いつぞや、数学者の方の著作を読んだ時に、
「天才的な数学者は例外なく、とても景色が美しい場所で育っている」
というようなことが書かれていた。
文面はうろ覚えで申し訳ない。
それが、すごく、印象に残った。
数学の世界も、インスピレーションが大切であり、それを培うのは、子供の頃から美しい…それも、半端なものでなく圧倒的に美しいものを見て暮らすことだ…という、意味のことが書かれていた。
数学の問題が解けるかどうかに関係なく、数学的な発想、考え方で説明されるとわかりやすい。
そして、上のツイートにも書いているように、美はダントツに、数学にあると思う。
数学の成績がとてもよかった…とか、大好きだった…というなら、もっと説得力がある書き方ができるのだろうけど。
教養としては、私の数学力は満点100ならせいぜい10くらいしかないので、適切に例を出すってのもできなくて、なんとも微妙だけど…。
黄金比とか白銀比といった、美しく見える数値というのも実際にあり、よく使われている。
先人が「計測しながら」描いたかどうかはともかく、ダ・ヴィンチや北斎の絵などは、すでにそれらの比率で描かれているという検証がされている。
絵そのものだけでなく、絵の題材となる静物や人間、風景なども、一般的に多くの人が美しいと感じる比率があって、自然に、そうした法則に則った美しいものを題材に選ぶ確率が高くなる。
白銀比って耳なじみがないかもしれないけれど、日本人には黄金比よりも身近な比率だ。
日本標準用紙のサイズ…つまりA4とか、B5とかいうサイズのことだけど。
あれは、白銀比になっている。
洋画に使うキャンバスには、M、F、P、Sと種類があり、長辺と短辺の比率が違う。
共通しているのは、長辺の数値で、短辺の数値がそれぞれの規格によって違う。
Sは、正方形。
といっても、日本の用紙サイズのように厳密ではなくて、製品には案外、比率のバラつきがある。
正方形に近いのがM、細長いのがP…くらいの捉え方でいいように思う。
で、この比率の規格がある、というからには、用途があるわけだ。
最終的には描き手の好みではあるのだけど、一応、
M=海の風景
F=人物
P=風景
が適しているとされている。
P規格は細長いので、これを横位置にとると、パノラマ写真っぽい感じになるわけだねえ。
私がいつも描いてるのはB2などの、日本標準サイズであることが多い。
ので、白銀比/P規格のものを使っている…ってことになる。
おかげでたまにF4とかのスケッチブック使うと、なんか妙な感じがする。
水彩やデッサン額はF規格のものが多いので、マットで調整することになるが、上下の空きを同じにはできないので、それを気にしはじめると、以外と選択肢は減る。
(私は全然気にならないので問題ない…が、渋系の額がそもそも少ない)
ピラミッドの精密な計測については有名だけど、日本の古い建築や仏像も、そういう点ではかなり優秀だ。
日本の建築は、白銀比を基本に作られている。
なぜかというと、白銀比が、最も素材を無駄にしない効率のよい比率だから。
一本の丸太から切り出す木材から、まず正方形の角柱を切り出す。
それを、無駄なく分割するのが、白銀比。
安定の比率だ。
西洋で主に用いられる黄金比は、螺旋で表現される。
オウムガイの殻などで解説されてるのを見たことがある方も多いと思う。
螺旋の比率には、動きがある。
西洋の美術品は、いずれも、動きを伴ったものが多い。
ギリシャ彫刻などでも、何かのワンシーンを切り取ったような躍動感のあるものがとても多い。
あれらは、基本が螺旋の動きある法則からできているからだ。
対して、日本の白銀比でできた世界は、静かな安定の世界。
私の大好きなコミックの最後の方で、仏師と西洋彫刻家が対決するというエピソードがあって、この比率の比較をうまく使っていた。
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目に入ってくる美しいもののフォルムは、自然に、自分の感覚として馴染んでいく。
見ただけでなんとなく落ち着くとか、きれいだなと感じるようになる。
だから、子供の頃からそういうものを常に見ている…意識的に見ている人ほど、そこに脈打つ法則性にも気づきやすい。
中でも、圧倒的に美しい風景というのは、人智を越えた偉大さというのを見せてくれるので、人の都合ではないところで働く法則を知るにはベストな環境なんだろう。
あかり玉は、ひょうたんで作る。
ヒョウタンにも、品評会というのあるそうで。
そこに出すための理想的なフォルムに育つヒョウタンは、100個収穫したうちに1個見つかれば御の字なんだそうだ。
上の玉と下の玉の比率や位置関係、高さと横幅の関係など、かなり厳しい規格があるそうで。
品評会に出せない年も出てきてしまう、と、ヒョウタン屋のご主人から聞いた。
私は、そういったところは全く求めてないので、変な形なら変な形に沿って作るだけの話で、そこらへんは至って自由というか、どうにでもなるわけだけど。
このような、種から育って自然に大きくなっていくようなモノにも、数値的に美の基準を作り、それを競うのだなあ~と思った。
△あかり玉になれば、フォルムが規格にあってるかどうかなんて関係ない。
って、話が逸れまくりだけど。
ダントツに、美と密接な関係をもつ学問は、数学だな…と。
思うわけ。
哲学や宗教学なども、もちろん、そうなんだけど。
それすらも、根底には数学がある…と、感じる。
なんで苦手な教科のまま終わっちゃったのかなあ~。
残念だ~。