押すとか引っ張るとか、結局それをどういう意図で決めたのか
自分は、こういう人間だ。
自分って、こうだ。
だから○○だ。
…みたいな言葉は、そういう枠を自分で作って、さらに日々強化しているようなものだ。
自信がない
○○できない
**ならできる
□□なら向いてる
そんな言葉も、きっと、そうだ。
本当にそうかなんて、実は一番わからないのは自分自身。
自分の本当のところなんて、自分じゃ見えない。
自分の後ろ姿は自分じゃ直視できないのと同じように。
背中を押すのはいいけれど、手を取って引っ張るのはお節介。
そんなことを書いていた人がいたけれど。
そして、その通りと思うけど。
背中を押すのも、手を引っ張るのも、相手に干渉するという意味では、同じ事でもある。
そして、やっても後悔するかもだし、やらなくて後悔するかもだし…というのも、どっちも一緒。
その時、その相手に、自分はどのように対面したいのか。
それを、自分で都度、選んでいくしかない。
自分のその選択が、どういう意図の元に決めたことなのか…と。
そういう、本当のところってのは、自分では把握しきれてないところに、理由があるのかも知れない。
ま、「だから何?」なんだけどね。