似ているようで全く違う、「ホンネを語る」と「ホンネをちょっとズラして語る」の結果
アウトプットされたものに、似通ったところがあるAさんとBさん。
しかし、第三者の私には、似通ったアウトプットから「真逆な印象」を受ける。
…という件を、考えてみる。
二人は、いつも、物事の美しいところについて言及する。
「ほっこり」「真心」「心がきれい」「繊細さ」「親切」「あたたかい」など、選ぶ言葉にも、かなり共通点がある。
向上すること、成長すること、耐え忍ぶこと…などに、美を見いだす傾向がある。
両者とも、更新頻度は高くなく、ポツリ、ポツリとしか書かない。
両者とも、グチもこぼすことがあるし、世に出回った意見に対して反論を述べることもあり、人間ぽいことを書く。
決して、聖人君子を気取ってなどいない。
そして、暗いものごとをよくしていきたい意識がある。
二人の記事を両方とも読んでいる人がどれくらいいるのか…とか、どれくらい読まれている人達なのか…などは、私にはわからない。
そんなに、「なんか似てる」と感じることが多いAさんとBさん…だけど。
私には、なぜか、まったく違った印象がある。
Aさんの文章は、染み入るようにじんわりと響いて心地よい。
Bさんの文章は、喉に小骨が刺さったみたいに、何か妙に苛立つ。
使う言葉も、視点も、似ているのに。
自分の受ける感覚を、よく、チェックしてみると…
どうやら、二人の決定的違いは、
「行動してるか、してないか」
それも、
「理念を少しでも形づくるための行動を」
な、気がしてきた。
動きが少ないのは、むしろ、Aさんの方。
Bさんは、けっこういろいろと動き回っていて、いろんなことをやっている様子が見える。
ただ、Aさんの「行動」は、自分のために留まらないことが多い。
Bさんの「行動」は、自分がやって楽しそうなこと、有意義そうなことに集中している。
Aさんが、少ない動きからも「自分が思う人のためにもなること」に関わっていこうとしている一方で。
Bさんは、本人の語っている「美しいコト」を現実化させるような動きに繋がっていない。
Aさんは、たまに「世をはかなむ」「不運を嘆く」ようなことはあっても、基本的に恨みやひがみからは遠い感じがする。
一方、Bさんは、根底で「自分の置かれた場所に対する怨恨」みたいなものが根深い感じがして、言葉や語っている内容の美しいことが、毒されている。
本当に思ってることだけしか語らない…
本当にやっていることしか、語らない。
ここは、大事なことだなぁ。
それって、自分をよく見て知っていないと気がつけないと思うし。
ホンネを語らず、ズラしたところで語っている…自分では、たぶん、そういうことは、よくわからないと思う。
頭で物事判断しがちなタイプが陥りやすいようにも思う。
なんとも言えない違和感や嘘臭さは、感じられてしまうものなんだなぁ。
自分も、いつのまにかそういうことになってないか、気をつけよう。
忌憚なく意見を言ってくれる人というのは、ホントに、貴重な存在だよね。
※先回りして断っておくけれど、今の時点で交流がある人のことではありません。
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