満たされている それでもハングリーである
「満たされてない」ことと「ハングリーである」ことは、違う。
自分が満たされていれば幸せである、という意見は私も賛成する。
ただ、それと、技術や知識などの「もっと高いところへ」と思う欲求とは、源泉が違う。
私は、今現在、ほぼほぼ「何不自由ない生活」をさせてもらっている。
そりゃあ、日々のことには様々な大小のトラブルもあれば、三次元的に不足していることもあれば、先行き不透明なこともある。
そんなことは、ごくごく当たり前のことであって、山あり谷ありというのが人生。
やることに異論を挟まず泳がせてもらえているし。
息子達は彼らの人生を生きているし。
実現したい妄想などはいくつかあれど、それを温めて遊んでいられるわけで。
非常に、恵まれてる生活だと思っている。
ただ、だからって「どうにも湧き出てきて止められない渇望」が消えることはない。
今は「上手くなりたい」という欲求は優先度の順位が大きく下がっている。
技術という面では、ハングリーさは半減以下になったと思う。
その代わり、別の欲求がある。
そういうものは、その時によって重要度を変えながら、しかし消えることなく常に、湧き出てくるもの。
仲間内で「トシのせいか、野心ってものが消えちゃった」なんて話が出たのだけど。
たぶん、私は、それが消えるってことは、ないと思う。
若い頃のものとは、確かに、趣は違うけれどね。
これは、近所で撮った今日の夕焼け空。
こんな風景を見ると、この世は美しさに満ちている、と思う。