尾張美濃と薩摩をつなぐ水の歴史
関係ないことなどどこにもない。全ては繋がっている。
気分がふさぐ時や、行き詰まった時、すっきりしない時などは、空を見るためだけに目的もなく車でうろうろしたりもする。
ほんの少し、三重県側…河口側に下ると、揖斐川も接近してくる。
その後、木曽川と並んで、伊勢湾へ繋がる。
薩摩藩士の宝歴治水
昨夜、桜島が噴火した。
この近くには、火山はない。
しかし、大きな河がフクザツに接近している場所柄、治水には苦しんだ歴史のある地方だ。
社会の本に出てくる「輪中」というのが、近くにある。
桜島のある鹿児島…薩摩の国の人達が、この木曽三川流域の治水工事を担ってくれたのだ。
上にリンクした長良川河口堰管理所のページの一部のキャプチャ。
この入り乱れた図は、まるで巨大な水の龍の血管を透かした絵のようだ。
薩摩から美濃。
今のように、楽に数時間で来られる時代ではない。
多くの人が、故郷から遠く離れたこの地域で生涯最後の日を迎えた。
その後、明治の頃に大規模な治水工事が行われて、今のような安定を保つ豊かな土地となったこの流域。
薩摩の人達が、その基礎を作ってくれた。
関係ないように思えても。
同じ空の下、同じ国の大地の上。
区分のつけようのない、海の中。