虚飾したカラスは、美しくない 「属性」に頼った人も、美しくない
手続きの書類に年齢を書くところがあると、いつも、計算しないとわからない。
多くの人は、年齢を重ねるごとにそうなっていくらしいから、単なる老化現象なんだろう。
私は他人の年齢も、気にならない。
何らかの理由でそれを知る必要がある時、または他の人に「その人は何歳くらいの人?」と聞かれて、はじめて「知らないなぁそういえば…」ということが、ホントによくある。
自分よりも年上なのか年下なのかってのも、あんまり意識しない。
なので、時々、年上の人にやけにタメ口になってしまったり、年下の人にすごい丁寧語や敬語が崩せない時も、ある。
実際の年齢が上か下か、という基準で判断してない。
もちろん、つい敬語が崩れてしまう…という人に対して敬意がないっていうことではない。
なにしろ、私は「緋呂さんは、尊敬させてもらえない時に怒りになる」って、とある人に言わせたくらいなんである。
基本、人はみんな自分よりもスゴイ、と思っているので。
相手の職業や収入も、ほとんど意識しない。
もちろん、普段の立ち居振る舞いや身なりなどで、かなりハイソサエティな方なのかな、という推測をすることはあるけれど。
だからって、じゃあ自分よりも格上だ…という発想にならないことも多い。
かなり、無礼なヤツかも知れない。
けど、そこに興味が無いからもう、しょうがない。
自分が関わっている人ご本人に対してそうなのだから、その方のご家族やら縁者がどうだなんて、もっと興味ない。
聞かされることがあっても、覚えられない。
普段から自分が関心を持っていることに関わっているお立場であれば話は別だけど。
世の中には、真逆な人もいる。
すぐに人の学歴だの、職業や勤務先、収入や住まいのことを知りたがる人。
正直、それを聞いて何になるのか、ホント、わからない。
すごい高学歴とか、難関な資格を持っているとか、何かの立場を自力で獲得した…とかいった「エピソード」には興味もあるし。
それを持っている人には、敬意を払う。
なぜって。
そこには、私にはとても無理な努力やチャレンジの過去があるからだ。
免状や証書に敬意を払うんじゃない。
何かを築いたこと、その道のりを辞めずに通したこと。
「そんな、あなた」への敬意だ。
看板とか、属性とか、何らかのカテゴライズとか、グループとか。
そんなものは、二次的なものでしかない。
イソップ童話の、いろんな鳥たちの羽根を体にくっつけて偽装したカラスのお話し。
看板や属性や…「自分ではないもの」に頼ってるのは、あのカラスと同じだ。
カラスは、ものすごく賢い。
そして、美しい。
黒いから、その習性から、忌まれることも多いけれども。
実際、困った存在である場合も多いけど。
カラスはカラスであるからこそ、カラス。
あれがハトやスズメの真似をしたって、可愛くもなけりゃ和みもしない。
カラスはカラスであるからこそ、あの存在感を放つ。
存在感は、どうやってごまかそうとしても、透けて見える。
だからこそ、他の鳥の羽で飾った姿に違和感が出る。
自分の存在感が薄いだの、目立てないだのと嘆いている人を見ると、
「そんなことばかりに目を向けてるから、余計にそうなるんだよ!」
って、言いたくなるんだよ。
そこにばっかり目を向けてるから、まわりにいる人もそんな風にしか見ないもんだと思うんだよ。
自分には何もない、と思い込んで。
せっかくの本来の力も素養も、取るに足りないものにしてしまってる。
自分自身が。
でも。
看板や属性などにばかり気を取られている人に、そういうことを言っても。
なかなか、通じないんだよねえ。
通じないなら、通じるようになった時に目に触れて耳に入ってくれる機会が来ると期待して、こういうお手紙を置いておく。
それも、私がブログにグタグタ書いている理由の一つ。
すごいのを見つけた。
この記事に載っている、一番上の絵本。
子どもの頃、これを読んだ。
懐かしい…………昭和42年の本か…
なるほどな。
確か、イトコの本をもらってきたって聞いたような。
この「講談社のえほん」シリーズは、たくさん家にあって、有名な物語の基本みたいなのはこのシリーズで見た気がする。