はっきりしないなら、ムリに言葉を与える必要もない
作業や家事の合間にブログ…なのか。
ブログの合間に作業や家事…なのか。
別に、どっちゃでもええっちゅーねん。
万事、そんなもんだと思います。
昨夜書いた記事
ここで、私は、かさこさんの「楽しむため」という回答に、全面同意しています。
でも。
一方では、どうでもええやん、とも、思っています。
生きる or 死ぬ
どちらかの選択しか、ないのだから。
そして、生きている人間は、死ぬ選択をまだしていないわけで。
片方からしか、モノゴトを見ることはできない。
これって、「楽しむ or 苦しむ」の選択でも、同じだし。
「やる or やらない」の選択でも、同じ。
無数に選択肢があったって、一つを選んだら、他は選べない。
後に選び直すことはできるけど、その時の自分も、状況も、もはや「あの時」と同じではないので、「選べない」ことに違いはない。
人間の意識は、そんなに便利にはできてなくて。
一つにしか、フォーカスを合わせることはできないんです。
いや、そんなことない、自分は一度に二つ以上のことにフォーカスできる!
って言い張る人もいるかもね。
まあ、そんならそうで、いいです。
反論するのも、メンドクサイから。
何がどうであろうとも。
どのようにできていようとも。
死んでないのなら、生きている。
そのことに、意味を求めても、たぶん、仕方ない。
意味なんて求めなくても、生きるし、時がくれば死ぬ。
それだけ。
ただ、「どのように生きていきたいか」っていう話になると。
「何のために生まれて来たのか」
といった根源の疑問を、問い続けながら「人生時間」を過ごしていくしか、ない。
誰かからもらった答えなんて、自分の答えじゃない。
はっきりしないなら、ムリに言葉を与える必要もない…と、私は思う。
一度はムリにでも言葉を当てはめてみて、それでやってみる、ってのも、アリだけど。
言葉って、意外に諸刃の剣だから。
当てはめられたことで安心しちゃうほうが、案外、損失になるかも知れない。
他人がどう言おうと、自分が「なんか違う」って感じるのなら。
なんか違うんだよ。
それで、いいじゃん。
何のために生まれたのか…とか。
何のために生きてるのか…とか。
その類いの問いってのは、してもしなくても、生きている今、という結果を特別左右はしません。
ただ、その後の結果は、もしかすると、左右するかも知れない。
そんな程度でいいかと。
昔は、今よりもずっとずっと「死」が身近にあった。
それだけ「生」の意味も鮮明だったのではないかな~。
このマンガが、好きでね。
めちゃくちゃすぎる空海も、それとは別の意味でめちゃくちゃすぎる最澄も、いい。
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これもいいんだけどね。
クソ生意気な道真がいいのね。
昔のアニメ「一休さん」の、かわいげ無い冷めた聡いガキんちょバージョンみたい(笑)
一緒に出てくるオッサンは、気苦労多くて老け気味な新右衛門さん的。
私的には、このガキが、いかにして将来大怨霊になるのかなあ…なんて思いながら読んでたりするんだけど。
これもいいよ。
日本が単一民族国家だ…なんて、一体いつからそんな話になったのかねえ???と、アホらしくなってくる。
それくらい、国の中枢にいるのは渡来の人達ばっかりという。
※念のために書いておきますが、「これが歴史の真相なんだ」とかいう類いのことはカケラも思ってませんから。読み物としてとらえておくれ。
史実がどうこう、そんなことの前に、描かれる人間の右往左往から何を感じとるか…っていうことの方がよっぽど大事だ。