【2015年の振り返り】 絶妙なタイミングだった「かさこ塾」
かさこ塾に入った動機。
それは、絵の販売に繋げるため。
……………だった。
かさこ塾が終わる直前に、気がついてしまうまでは。
「私、別に絵を売りたいわけじゃない」
「絵は、商材と思えない」
これは、けっこうな驚きだった。
なんせ、4年近く、そう思ってやってきたんだから。
かさこ塾の1回目が始まった頃、何をしていたか…というと。
陶器の原型制作を、初めて、やった時期だった。
今思えば、なんたる絶妙なタイミング。
絵は…
どこかに絵の持ち主となる方がおられる。
だから、その方に引き渡すために描く。
…そんな感じ。
かさこ塾で、いろいろと考えているうちに。
それはもはや「商材」とは呼べないものなのだ、ってことに、気がついてしまったんだよねえ。
では、目的を見失ったのか…というと。
そんなことは、ない。
まず、私は「書く事そのものが好き」だから。
書くってことが、ブログを更新するってこと自体が、一つの目的。
アクセス数とか、収益化とか。
そういうことは、「どうせやるなら、あった方がより、楽しいよね」という位置づけで。
あまりそこにはこだわらないで、好きなように書く。
今のところは、それを続けている。
同時に、「アクセスを増やす書き方」という方向に自分のベクトルが向きにくい、ということも、わかってきた。
ただ、それは単に「勝負を避けている」だけのことかも知れないので、頭を切り換えたいとは思っている。
なかなか成功しないだけで。
あかり玉は、かさこ塾が終わってから、登場した。
あかり玉のことを書いているうちに、「なんだ、私はこれを、最初からずっと、やってきたんだ」ということに、思い至った。
それを、伝えるためには…やっぱり、少しは、「アクセス数を伸ばす書き方」とか「表現方法」を、実践する必要がある。
うん、間違いなく、ある。
なかなか、実践する方向に切り替えが成功しないけど。
気がつくと、いつもの調子でガーッと、書いちゃってる。
慣性の法則のせいにしておこう。
かさこ塾のおかげで、もう一つ、わかったことがある。
私は、「人と話す」ことが、ものすごく好きだってこと。
「おしゃべり」ではなく「話すこと」が、好きだ。
その時間がないと、私のエンジンオイルは枯渇する。
それくらい、重要なことなんだ…と、わかった。
だから、私の「好きなことしよう道」に必要なことは、見えて来た。
かさこ塾に入らなかったら、たぶん、まだいろいろカンチガイしたままで動いてた。
そういうのって、最初はほんのわずかでも、だんだん先へ進むに従って、誤差はどんどん大きくなる。
ホントに、絶妙なタイミングでの受講だった。
名古屋での開催、たぶん、春くらいに2度目があると思う。
その時は、再受講を考えてる。
その時までに、何がどう変遷しているか…ってのもまた、自分でも楽しみだ。