「自己満足でいい」は「自分の情熱や結果を、自ら蔑ろにし、己の箱庭に閉じ込めてしまう行為」である
商売脳の優れている方とお話しをした時、
「作ったモノを売るタイミング」
っていう話題になりました。
その方は、「売れたという結果」にフォーカスしているので、
作ること=いち早く販売すること
を、見ています。
もちろん、そのためには商品クオリティが高くなきゃいけないのだけども。
かといって、極みである必要もないのです。
求められる水準を上回っていること。
そうであれば、よい。
それに対して、適正な価格をつけ、よりよく受け入れられるためのパッケージングや販売の場という力を付加して、少しでも早くその品を世に出し、お客様の手元に届ける。
実に、理に適っていて、素晴らしいと思います。
世に言う「作家」的な人達は、なかなか、そういう思考にはなれません。
オリジナリティや技術をまず、己が満足できるレベルにまで引き上げる。
そうなってからでないと、売るなんてできない。
私も、どっちかというとそう考えるタイプなので、少々、小器用に仕上げることができるようになったからって、すぐに「じゃあ売ろう!」とは、思えない。
私は、この2年ほど、その思考を「転換する」ことを、指導されてきました。
売ることを得意とし、自らも作家活動をする…という両道な方が、指導を根気よく、してくださっていました。
作家道追求のためには、極めて正当ではあるけれども。
それだから、「自営業」として成立させるのが難しいのだ…と。
一体、いつになったら、そこまでかけてきた時間/労力/資金/エネルギー/精神力/まわりの協力といったものを、回収することができるようになるのか?
回収できなければ、それをさらに還元することは、もっと、できない。
還元できないということは、どんなにスゴイことをやっても自己満足を出ない。
自己満足でいい、というのは…本当は、
「自分の情熱や作ったモノを、自ら蔑ろにし、己の箱庭に閉じ込めてしまう行為だ」
そう、教えてもらいました。
この表現自体は、私が考えた文言ですが、教えてもらったことを一行にしたら、こういうこと…です。
冒頭に書いた「早く売ることにフォーカス」が、自然にできている方との会話は、それを思い出させてくれました。
技術技能を磨くこと。
自分の世界を、深く追求すること。
それらは、常に続けていくべき根底のことではあるけれど。
それには天井がなくて、永久に終わりのない世界でもある。
タロットカードには、「運命の輪」というカードがあります。
私は、タロットあんまり詳しくないけど、全然知らないってこともなくて。
絵のあるものは何でも好きで、けっこう古くから興味はあるのです。
中学生くらいから…ですかね。
勉強とか、トライしてもいつも全くできずに放棄するんですけどね(笑)
その「運命の輪」っていうのは、「運命対自由意志」を現す…とも言うらしい。
「運命」を「永遠の作家道」に。
「自由意志」を「還元可能な資材としての作品」に。
置き換えてみると…。
私のような、己の世界を追求することに偏りがちで、それでいて、商材として成立させたい欲求もある…というメンドクサイ人間の持つ「因果」が、見える気がします。
「自分の情熱や作ったモノを、自ら蔑ろにし、己の箱庭に閉じ込めてしまう行為だ」
勝手に回ろうとしている輪を、無理に逆向きに回して「留めよう」とする。
そんな、ばかげた力の使い方…を、連想しました。