人生劇場を見て、己の愚を知った…の巻
この数日、いろいろと毒吐きをして、けっこう自分的にはスッキリ感があるんだけど(笑)
なんか…そういうタイミングだからなのか、なんなのか。
「ああ、なんだ、私がやってたのって、コレと一緒だ」
って、ものすごい感じた出来事がある。
今もどうやら進行形なようなので、情勢を見てるのだけれども。
起きている出来事は、別に私には関係ない。
まあ、気に入ってる人達が繰り広げている事象なので、いろいろ思うコトはあるけれども、基本、傍観してるだけの話だ。
そこで起こってることが、自分が今までさんざん、アチラの世界相手に文句を垂れ続けてきた事柄が水鏡に写された像であるかのように思えた瞬間があった…という以外には。
そう思ったらもう、こんなバカバカしいことって、ない。
しょーもない。
あまりに、しょーもない。
いやー、もう。
なるほど、天空に石を投げるっていうことのアホらしさを、こんな風にして見せられると、納得するしかない。
オマエの主張なんざ、どーでもええんじゃ。
と、いつだってテキトーに…しかしちゃんとわかるようには相手をしてくれる。
神は親と同じだ、って、ホント、よく言ったもんだ。
従おうが、従うまいが。
出て行こうが、留まろうが。
やろうが、やるまいが。
アチラには、関係ないんだよ、基本的に。
私が引っ込んだって、代わりはいくらでも立てられるんだから。
他人が演じてるドタバタを見ると、なんでこう、よくわかるんだろね(笑)
自分がやってる時には、わかんないのにね~(笑)
神絵の代役なんて、無限に沸いて出る。
でも、私の道は、一本しかない。
その道に留まって、そこを進み続けたいのなら。
呑み込むしかない事象ってのが、あるってことだ。
しっかし…今回はなかなか、面白い手を使われたな~って思う。
自分の身の上に何か起きたのなら、こういう具合に達観視はできなかったろうし。
裏目に出る可能性も大きいし。
他人が演じるバカバカしさの極み、ってのを見ることで、もはや笑い話にするしかないと諦めがついた。
これもある種の「北風と太陽」の寓話バリエーションかも知れない。
私は、神々の名が人間の記憶から消えていくことを、よしとしない。
それは困ると思ってる。
そこはホンネで、そう思ってる。
それ以上の理由は、別にいらないかもね。
(ただし、従いたくないことは従わないけどね)
意味わかんない? ごめんね。
自分のための備忘録記事だから、わかる人だけわかればいいんです。