松の剪定の話から、人間の話を連想した…の巻
うちのダンナさんは、庭師です。
今ドキは庭師なんて言い方はしなくて、職種としては「造園技能士」なんて、お堅い言い方をするようです。
まあ…確かに、庭の木ばかりいじるわけではないですけどね。
うちは、どっちかというと古いタイプの庭師です。
古いタイプの「日本の庭」は、新しい住宅にはまず、登場しません。
和洋折衷ならあるけど、そういう庭に植える木でも、昔と違って松なんかは、まず、ありません。
だんだん町並みから消えてゆきつつある「松」の剪定が、うちのダンナさんの得意ジャンルです。
「見事な枝ぶり」を創るのは、松の生産者さん。
庭師さんで作っている方もいらっしゃるけど、うちは「松を手入れする」ことが専門です。
幼木から大きくする、という仕事はしませんが、育った松をさらに「よく育つ」「姿を保つ」ようにしていくことが、仕事です。
いわゆる、職人です。
これがね。
不慣れな人や、松をよく知らない人に手入れされると、「その時はよく見えて」いても、翌年になると枝が全体に赤茶けて枯れ始めている…ってことが、あるわけです。
そういう気配を見て、家主さんが「どうにかして」と言ってこられるケースもあります。
手遅れなこともあるけど、きちんと適切な手入れをすれば、その翌年には持ち直すことも多いです。
樹木医ではありませんが、剪定で甦ることは、多いんです。
…まあ、私は全然わからないので、伝聞ですけども。
話を聞いてると、人間を相手にした仕事でも、基本は一緒だな、って、よく思います。
すぐに効果の有無はわからない。
でも、時が経つと、確実に、成否が目に見えてくる。
不適切な対処や指導を受けると、後になってそのダメージを取り返すのが困難になることもある。
無理に方向づけようとしても、本来枝が伸びたがってない方向へは、キレイなカタチにはならないんです。
門かぶり松みたいな、人為的に方向づけて「数年後の姿を見越して向きを変えていく」ことで作られていく松は、育てる職人さんが時間をかけてじっくり、枝のカタチを作っていきます。
一朝一夕では、無理な仕事です。
一本何百万円…千万の単位になることすらあるものですが。
そこまでにかかっている手間暇は、一年二年どころじゃなかったりするわけです。
その間に病気でやられてしまったり、台風などで折られたりしてしまうこともある。
たくさん作付けしたところで、「成功」と言えるまでに創り上げられる木は、その中のほんの少しですしね。
知らない人は、「たかが木一本売っただけでそんなに儲かっていいね」みたいに思うわけですけど。
そうじゃないから、その値段がついても売れるわけですよ。
そういうものを作る職人さんは、常に木と対話しながら、育てていくわけです。
施主さんの家の庭に植え込まれた後、それをさらに美しく伸びるように手入れしていくのが、庭師の仕事。
不適切な手入れを受けた後の松を剪定してきた話を聞きながら、
「なんか、心理系とか、占いとか、霊能の人達の仕事に似てるかも」
って、ちょっと、思ったのでした。
自分が「不適切な仕事をしている」という自覚の無い人に雑に、無理に剪定された枝は、後になって持ちこたえられなくて、元気がなくなって枯れていく。
私は自分の知人縁者に見えない世界系の人が多いので、つい、「カワイソウな剪定を受けてしまった松」→「ちゃんと扱ってもらえなかった相談者」っていう連想をしてしまいます。
人間は自分でその相手を選んで行ってしまうので、松とは違いますけども。
「本来は望まなかったであろう未来」を自分の身に引き入れてしまう、という意味では、似た立場かな~と。
医者ではないけど、比較的近い働きをすることもある…という意味では、施術側の人を連想しますし。
だからなんだってことはないけど。
結局、人間も植物も一緒だな~。
…と、ね。
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