カンチガイに気がつける環境って幸せです
気が短いとか、長いとか、言いますよね。
その基準も、人それぞれ…なんだけど。
私は比較的、温厚に見えることが多いようです。
癒し系という、大変に間違った印象を持たれることも、あったりします。
(一体何を見てそう思うんだろう…ナゾだ…)
確かに、温厚と言えば温厚かも知れません。
行って楽しいと思う場所にしか行かないので、行けばたいていの時は、楽しくすごしてますから。
総じて愛想も良いしね。
けど、少し深く付き合ったことがある方は、地雷がたくさん埋まってることには、すぐに気がつくようです。
反応範囲は狭い地雷ばかりなので、ホントにピンポイントに踏まない限りは無害であることが多いです。
最近、ひさしぶりに、「もっとコワイ人かと思ってました」というご感想をいただく機会がありました。
続けて複数、そういう方とお会いしたんで、「ああ、まだそう思われるのか」と、思いました。
コワくないよ。
たまに噛みつくのは、こっちが小心者だからです(笑)
基本は、グダグダ、ダラダラと過ごすのが一番いいぐーたらなのでね。
怒るってことは、すごい負荷のかかることなので、遠慮したいです。
そういえば、昔、学生の頃は、導火線3ミリと言われてたっけなあ。
点火したら自分も巻き込まれる爆弾だ…みたいな。
要するに、超短気ということですわ。
黒ヒゲ危機一髪ゲームみたいなもんで。
刺すところを刺したら一撃でドカンといく。
ただ、その差し込み口がメチャクチャ狭いところに小さくしか開いてないので、そこに突っ込んでくる人が滅多にいないっていうだけ。
学生の頃は、若かったせいと、まわりにいる連中が地雷エリアに踏み込みやすい人達だった、っていうことでね。
なんせ、美術系・デザイン系・オタクの世界……そゆとこって、居る人がだいたい似た者&変人集団ですからねえ。
でも、若い頃のそうした「度々爆発する」っていうのは、案外と、気持ちがいいものでした。
そりゃあまあ、仲間割れとか後味悪いことや、修羅場みたいなことも、あったけども。
不完全燃焼で後々まで尾を引く…っていうことは、少なかった。
小中学生の頃はしょっちゅうイジメられてましたんで、まあ、それなりに様々ありましたけども。
トラウマ化していたような打撃は、そういう経験よりも、仲の良い人との間に生まれた軋轢の産物だったです。
昨夜、つらつらと、いろんなことを回想していて気がついたの。
最近になって解消されてきたいろんな勘違いは、どうも、ほとんどが数年前に通過した泥沼人間関係の中で「割り振られた」役割や傾向を過剰にインプットしてしまった末のこと…のような気がしてきた。すごいなー、なんて威力だ。
— 異界絵師 緋呂(ひろ) (@HIRO_eshi) 2015, 9月 7
龍の絵、今はしょっちゅう描きます。
原型も作りました。
でも、まだ描きはじめてから3年です。
2012年までは、私が手を出してはならない領域だ、と思ってました。
大まじめに、思ってました。
いろんな方から、描かないの?描けばいいのに、と次々声をかけていただいて。
その度に、「いやあ、そのうち」と返事しながら、内心では「ナイっすよ。私そこに手出したらダメですから」って、思ってた。
もう何がきっかけだったか思い出せないのだけど…
急に、描いてみる気になってね。
ほぼ一番最初の龍の絵が、これです。
次がこれ
私は龍描いちゃダメな人
というヘンな刷り込みができてしまった理由は、わかっております。
どういう経緯で、それを踏み越えることができたのか…を覚えてないのが残念な気もするんですが…
超えることができてよかったな、と、心底思っているわけです。
んで。
案の定、「は?今それ?」の声が飛んできてる昨日の記事。
これも、「カンチガイ自己像」の一事例なわけだけども。
こういうことが、ホントにたくさん、ようやく自覚されてきた昨今ですが…
そうしたカンチガイに気がつく機会というのは、大人になるとどんどん、減っていくと思うわけです。
ガチなぶつかりあいとか、そんなにしなくなりますしね。
人間のスルー力ってスゴイので、いくら周りが口を酸っぱく言ってくれてても、本人には一つも届かない…ってことも、多々あるし。
そこいくと、度々カンチガイに気がつく環境にいるというのは、幸せなことだなあ~って、思います。
今日も、オチも結論もない駄文でございました(笑)
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