0から生み出すモノと 組み合せから生み出されるモノ その存在領域は違う
オリンピックのパクリ疑惑は、取り下げとなって次フェーズへ移行したようだ。
私は、パクった云々は関係なしとしても、あのエンブレムは好きじゃなかった。
だから取り下げになって良かった…という風にも思わないけれども、ここまでの騒動になってしまったら、続投は無理だろうね、とは思う。
ただ、論調には、いろいろと、どうかと思うところはある。
某氏がコピペ職人的な人だったとしても、それはそれで、そういう人が活きるステージっていうのはあるんで。
今回の場合は、ちょっと場を間違えたのかな、という風には思う。
というか、昨今のデジタルデザイン時代にゃ、「素材を用いる」ことはすでに常識…みたいになってると思う。
もちろん、使用許諾を守ることは前提。
単に「ネットで拾った画像を素材にしちゃう」というお気楽処理はNGでしょう。
デジタルイラストが誰の手にも届くような便利ツールとなって久しい昨今では、アナログだと全然描けないっていう絵描きさんもいるくらい。
そういう人が全員「アレンジャー」なのか…というと、そうとも言えないと思うし。
パクリなのか、っていうと、それも違うと思う。
今回の件がどうか、っていうのは、もう語り尽くされてる感じだし、そこまで関心もない。
しかし…だ。
松尾貴史が暴露「佐野研二郎と対談したときに『今はデザインの技術よりも組み合わせる力が大事』と語っていた」 | netgeek
上の記事。
松尾さんが云々…というところは飛ばして、下の方。
2014年10月7日になんと「これからはアートディレクターじゃなくてデザインコメディアンと呼んでください!」とツイートしていたのだ。自らの仕事に誇りを持つプロならば冗談でもこのようなことは言うはずがない。
コレ読んで「何勝手に決めつけてんだよ」と思った。
この一文には、
時流の流れに乗っかって、
高みの見物を決め込みながら、
面白おかしく
「どうよ、こういうこと気づくオレすごくね?」的な
すっごく、イヤな、イヤミな、でもちっちゃいヤツの遠吠え
みたいなものを、感じてしまう。
私は、問題の方が発言したとされる
「今はそういう技よりも何と何を組み合わせるかだ」
これは、その通りだと思う。
なんか、みんなカンチガイしてる。
ゼロから生み出すことが重要なものと、既存のものが組み合わさって生まれるものとは、存在領域が違う。
どっちがエラいとか、どっちが上とか、そういうことでもない。
用途というか…とにかく、存在領域が違う。
今や、某氏のどんな言動も、目を皿のようにして「パクった」ことにしたがってる。
まだしばらくは、どこまでも遡ってほじくり返して、あれもこれもパクリだと言われるのだろうと思う。
浴びた光が強かった分だけの、ひっくりかえった時の闇夜の濃さ。
コワイのは、自分は何もしてないし何ら関係もない連中が、さもわかったような顔をして個人攻撃の列に喜々として加わってる、集団に働く力だ。
このことが起こるまで、オリンピックにもエンブレムにも、飲料会社のキャンペーンにも、海外デザインにも、全く興味なかった…という人が、こぞって、石を投げてる。
そういう風に感じる。
脚光、ステータス、高額報酬、血筋、コネクション…スケープゴートとしての適性を兼ね備えすぎてしまってた。
石を投げてる人のほとんどは、一生のうちに、何がどう間違ったって某氏の立った場所に立つ日は来ない。
だから、平気で石が投げられる。
上にリンクした記事を書いた人や、載せてるサイトは、新聞紙面の画像を掲載する許可を、新聞社に取ったんだろうかね。
「引用だからいい」のでしょうかね。
私、以前に、作品展の会場に取材に来てくださった地元の新聞社の記者さんに、掲載後に、誌面の画像を該当部分だけ切り出してブログに載せてもいいか…と聞いたら
「ダメです」
と、言われました。
自分の絵、自分の写真が載っている、自分の作品展を取材してもらった記事なのに…です。
載ったことや日付などを書いてブログに載せることはOKだけど、紙面の画像はダメ。
ハッキリ、言われました。
その記事は、イベント情報の告知記事ではなくて、地方の限定版にカラー写真入りで記者の方が書いてくださった記事でした。
「イベント告知のようなものであれば画像を使ってもらってもいい」というのが、お返事でした。
取材の時にお聞きした所、社に戻って確認してから返事します、と言われ、その上での回答でした。
けっこう大きく誌面をとってもらえたので、よい宣材になると思ったんだけど、使えないからしょうがないね。
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