アートビジネスとは詐欺とハッタリ? あるQ&Aを見て思ったこと。
とある名前を検索した時に、いくつかの掲示板(Yahoo知恵袋みたいな、ユーザーの質問にユーザーが回答する形式の掲示板)がヒットしてきまして。
その中に、こんな一文が書かれていましてね。
アート・ビジネスの根幹は、ハッタリと詐欺です。
ただ、そうだとしても、ハッタリを現実化する能力に優れたギャラリーもありますし、詐欺を詐欺と思わせずみんなを幸せな気分にさせる術に長けたギャラリーもあります。
ある意味で、そういうギャラリーが「優良」ギャラリーです。
※URLなどはあえて伏せます。悪徳業者のリストに入ってないか探した…ということではありません。
この回答。
なんというか…口は悪いけど突くとこ突いてるね、と思いました。
その作品に、その価格相当の価値が、本当にあるの?
そんな疑問に、誰が答えるのか。
作者? 販売業者? 世論?
価格の価値は、「あると思う人にはあるし、ないと思う人には無い」なので。
原価がいくらだから、作品はいくら…なんて、そんな値付けができる世界ではないし。
どれだけ時間がかかったから、いくら…なんて、そんな値付けもできない世界。
私の担当さんは、「価値の根拠」の一つに、「どれほどの熱意や情熱をこめたか」を、挙げました。
私が、値付けに窮した時の指導の際に…です。
思わず「それって、根拠?!」と、聞き返してしまいました。
データとして出てこない、証明できないものを「根拠」と言う?!
と、思ったので。
しかし。
時間換算はNG。
原価から算出も、NG。
データで証明できる類いの根拠が、一体どこに?
…というのも、また、事実。
世の中には、「0号サイズの価格」を決めておき、単純に号数倍する、という値付けもあります。
でも、それにしても、0号のサイズをいくらにするか…という根拠は?って、なる。
相場はこれくらいだよ、という答えを出してくださる方もいらっしゃるけれども。
「相場」も変動するし。
その相場の「根拠」は何?ということにもなる。
フツウの生活をしている人が、フツウに買えるくらいの価格
という答えも、あったけど。
「フツウの生活」「フツウに買える」って、その基準はどこに?
そんなことを考えていると、「詐欺とハッタリ」って、そうだよね…と、思う。
仮に、相場の数倍以上といった「バカ高い価格」をつけておいたとしても。
それを気に入って、それを出してもよいと思う人にとっては、それが「相応の価格」になるのだろうし。
気に入っちゃったんだから、しょうがないよ…なんて、「アバタもエクボ」的な話でも、それで買った人が幸せ気分を得られるならば、それはそれでいいわけだし。
行者とヤクザは「気の世界」という括りでは一緒だ…って聞いたけど。
なんか、そういうのとちょっと、似ているかも知れないな~と、思ったり。
創ったモノ(者/物)の…または売る者の「気」が、買い手を呑めば「売れる」
呑めなければ「売れない」
そんな風に思ったりも、するわけです。
あ…「呑まれて幸せ」でなきゃ、たとえ丸呑みにできたとしてもNGですけどね。
買い手が幸せ気分になれることが、一番の条件ですから。
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