私が人に「強い、ブレない、信念がある」という印象を与えるらしい、たった一つの理由
私は、人からたびたび「強い」と言われる。
ブレがないとか、信念があるとか、言われる。
自分ではそういう風には感じない。
迷うことも多々あるし、行ったり来たりもする。
逃げ出すことなんて、しょっちゅう。
途中で投げ出したり、投げ出しそうになったり。
むしろ、印象とは逆な気がすることが、多々アリ。
でも、人に「強い、ブレない、信念がある」という印象を与えるとしたら、その理由はたった一つ。
確固たる方向を示す北極星があるから。
それだけのことだと思う。
北極星と地球の距離は、433.8光年。
つまり、433.8年前の光が、今、届いている…そんな距離だ。
実は一等星ではなく、2等星。
現在…というか、今の人類的な意味での「現在」、地球から見た「天の北極」に一番近いとされる。
あと85年くらい経つと、今よりも更に天の北極に近づくそうな。
太陽は、東の地平から上り、西の地平へ沈む。
北極星は、沈まない。
昼間の明るさでは見えなくなるが、位置は変わらず、そこにある。
季節にも関係なく、そこにある。
神話的には、天空にピン留めされた小熊…女神ヘラの怒りを買って、母ともども永遠に地上で休むことを許されない元人間の猟師とされる。
東洋的には、北極星は妙見菩薩の化身とされ、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)と習合されたとも。
さらに、私の心の師匠である葛飾北斎も、北辰妙見菩薩を信仰して「北斎辰政」と名乗った時がある。
私の誕生日は11月7日で、立冬。
北の玄武が守護する。
妙見菩薩は、一部では、玄武に乗った甲冑姿で作られていることがあるそうな。
見たことはない。
なーんて。
私にとって特別なのは、そういうコトが問題なんじゃないのだ、実は。
それは、象徴としての存在。
概念上の「特別」。
自分の世界において、すごく特殊な位置づけにある、特別なモノ。
自分の羅針盤が、常に、指している先。
以前、こんな記事を書いた。
夜空の星の、どれが「北極星」なのか…というのを、実際に見つけ出すかどうか。
それは、見る者次第。
知識として「北の中空にある」と知っているからって、現実に降るような星空の下でそれを正確に見つけ出せるか…というのは、別問題。
世の中は、実にたくさんの情報で溢れている。
求めてなくても勝手に入ってくるし、玉石混淆でもう、収拾つかない。
その中から、自分に必要なものを選別しなくてはならない。
では、一体、何を「必要」とするのか。
そういう基準は、自分の信念に照らすしかない…と、思っている。
それを象徴するのが、私の場合は「北極星」だ。
灯台は、動力が必要になる。
光源が破壊されれば、意味をなさない。
それよりももっと確実で、北極星が星としての終焉を迎えない限りは、少なくともあと数千年は「天の北極」で在り続ける。
終焉を迎えても、そこから433.8年の間は、地球からは変わらず、それは見えるということだ。
北極星が向こうから手を伸ばすことはない。
合図を送ってくることもない。
こちらが見つけ出して、方向を合わせるしかない。
見えなくなることがあるとしたら、こちらが見失った時しかない。
大航海に出るには、羅針盤は必須だ。
どんなに精巧な海図を持っていても、実際の基準点が見つけられなかったら、意味がない。
自分の生き方を生きようとするなら、自分の北極星を見つけよう。
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