慣性の法則(つまり惰性)、恐るべし
運動の第1法則(慣性の法則)
「すべての物体は、外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動を続ける」
Wikipediaから引用
こんな、わかりやすいサイトもあった。
慣性は、精神や思考にも働く。
物質とは少し違った挙動をすることもある(と思う)。
特に挙動が違うのは「等速直線運動」のところだと思う。
思う思うばっかりでアレだけど。
ごめんね、物理も数学も赤点だったんだよ私。
この数年前に、スピリチュアル系の概念の多くが物理でカバーできる(面もある)って思うことが多くて、けっこう好きになってきたんだけど、所詮は赤点脳の考えることだからテキトーです。
でも、慣性が精神や思考にも働くっていうのは、本当にそうだと思う。
誰か証明しているのかどうか知らないけれど。
一度思い込んでしまったことを変えるのは難しい。
一時的にハイな状態の時はカンタンにできそうな気がするけど、それは「気がする」だけ。
ほとんどの場合、ハイが静まると、元に戻る。
悪しき習慣で、当人も直したいと思っていることですらも、本当に変えることはなかなかに、難しい。
かさこ塾の「自由課題」なるものの一つがあって。
それは、私はもうずっと、「これだ」と思っていたことをそのまま書けばいい、という宿題で。
もちろん、そのまま書いて出した。
ところが、3回目の講座を終えた頃に、「いや、それ、違うんじゃない?」って思えてきてしまって。
結局、その「違うんじゃない?」感覚を優先することにして、根底から練り直すことにした。
なのに。
今まで、「これが目的だ」って思って来たことは、なかなか、急に変更できない。
無意識レベルの境界線近いところまで、その「これが目的」と思って来たお題目が定着しているので、どうしても、思考はそっち側へ行こうとする。
目から入ってくる情報は、手や皮膚感覚から入ってくる情報と違ってまず思考を通る割合が高いので、どうしても、思考が引っ張られる種類の情報を拾いに行ってしまう。
で、また、思考が反応する。
なんか「あ、面白そう」とか、思ってしまう。
でも、今は私には、ホントは「いらない」情報なのだよね。
というか、「今いらない」のではなく、もっとずっと前から、いらなかった。
思考が気がついてなかっただけで。
つい、「あ、いいかも」って思ってしまって、時間もエネルギーも資金も、費やす。
もちろん、ムダにはなってきてないのだけども。
よく吟味してみると、そこまで必要でもなかったね…って、思うことがたくさん。
思考は「いいかも」って思っても、実際には「いや、違うよ」という無意識領域のベクトルの方がずっと勝っているので、現実の動きは大した成果に繋がらない。
噛み合わない感じは、そういうところから、来る。
…っていう理屈は、十分なのだよ~。
どんだけ、そういう方面のこと今まで勉強してきたか。
それでも、慣性の法則は強力だな…と実感するほどに、すぐに思考は反応しようとする。
惰性、恐るべし。
懇親会の最後に、かさこさんに、口に出して言ってみたことは、ホントに、よかった。
引き続き、4日間北陸にいる間に、あっちでも、思い切って、口に出してみた。
出した時点では、言う必要性はなくなっていたことだったのだけど。
あえて、「実はですね~」と、切り出してみた。
笑われた。
「ぼく、前からそれは言ってたよね?」
と、言われた。
実際、そうだった。
そして、私も、ようやく、「前からそれを言われていた」ことが、自分に腑に落ちた。
単に、私自身が、「でも、やっぱり、自分でちゃんとやらなきゃ」と、思っていただけの話。
そして、本当は、自分すらも「やらなくていいよ」って、思ってた…と。
なんたる、アホさ。
そこまで、がっつり、「やらないんだ、それでいいんだ」って思った…にも関わらず。
未だに、慣性の法則は、働いている。
恐るべし、惰性。
意識して、無駄な方向に行こうとする思考を、一つずつ断っていかないと。
まだイマイチ整理されてませんので、イミフかと思われます。
けっこう、深いところで糸が絡まってるんで、ほどくのも手間暇かかります。
次は、もう少し具体的なことを、書けるんではないかと。
いつだったかも、どこで撮ったかも覚えてない空。