信仰の自由というのは、全ての「信仰」を等しく尊敬すること
さきほど、自宅に訪問者があった。
近いところに建ったとある有名なキリスト教系新興宗教の支部から来たのだろう…と思われる。
どこの所属かは、ともかくとして、家庭訪問に来る人はパッと見てわかる風貌がある。
チラシを置いていった。
近々大きなイベントを、大がかりな場所を使って行うらしい。
「今日は、本当に特別な、特別なイベントのご案内です」
という具合に、特別という単語を執拗なまでに繰り返していた。
二つ折りになったチラシを開くと、ドーンと目に入るキャッチコピー。
世界を征服する
いつ、どのように?
このような改行位置、文字の大きさ、カラーリングで、ドカーンと。
この大会のテーマは「イエスに倣いましょう」だそうです。
特定の宗教を、どうこう言う気はない。
それは信仰の自由であり、個人の自由。
日本では、なおさら。
でもさ。
「征服する」「倣いましょう」
って、あまりにも、あからさまではないのかね?
それとも、彼らには、「征服することが世の平和」というおめでたい図式が、今も、本当に、インプットされているのだろうか。
一神教は、もう、破綻している。
もちろん、こういう発言が、記事タイトルと矛盾することも、わかっている。
でも、世界の中核を担った国々の多くが一神教国で、それで世界は破綻しているのだから。
一神教は破綻してる、というのは極論ではないと思う。
多神教の国も破綻している。
どっちをとっても、破綻する。
それは、人間が、いつまでたっても支配権や利権を争う構造から離れないからだ。
一つの思想が世界を征服し、一つの思想でまとめあげれば、世界は平和になる。
これを、今まで、この地球…少なくとも今の人類は、経験していない。
だから、この思想が正しいのかどうかも、本来は判断できない。
でも、もし、一つの思想によってまとめあげられる、ということが可能になるとしたら。
今すでに存在する宗教からは生まれない。
汝の隣人を愛せよ…と言うように、お互いの神を愛せるようになればいいのに。
△天照大神【共に在れ】
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