自分を浪費しないための、たった一つの方法
けっこういい感じに話ができてて。
この人と話しするのは楽しいな~、と思えていて。
それでも、お互いがホントに「理解」しあえているのか…ってのは、わからないものだ。
だいたい反応は予測できる…としても。
私は、その人じゃないし。
その人は、私じゃない。
少々互いの共通した感覚みたいなものを認知しあっている…としても。
あくまでも、それは「お互いの一面」だし。
価値観とか、発言のバックボーンなどが違うからには、共通していると思える感覚そのものが、案外、全然方向が違ってた…なんてことは、よくある。
仮に、組んで何かをやっている同士でも。
お茶すると何時間も話続けられる同士でも。
同じジャンルの中に属してるとお互いわかる同士でも。
最も根底にある「一番大事なこと」は、全然、共有してないもんだ。
「そういう前提だった」というのも、共通の文書で確認しあっているのでもないかぎり、言った言わない…そういう意味じゃない…の連続になる。
だから、メールでの確認が重要になる。
でも、文章だけのやり取りだと、またまた互いの読み違いってのが起こるし。
結局、「思い違い、食い違い」ってのは、なくならない。
でもさあ、これって、単純な話だよ。
要は、扱ってほしいように扱って「くれなかった」っていうことが根底にあるわけで。
それは、自分の欲求が叶えられなかった、ということで。
そもそも、他人に求めるのがお門違いなわけですよ。
あなたの欲は、あなたが叶えるしかないのです。
それを叶えなかった相手に、原因を押しつけたって、何一つ、いいことは起きません。
人の言動にイチイチ右往左往したり、気持ちが乱れて自分のやることすらできなくなったり、体調に出たり。
それって、「自分の浪費」だと思う。
自分を浪費しないためには、たった一つ。
他人に期待をしないこと。
というか…期待の方向を間違えないこと…というべきかな。
間違った期待、過度の期待はなぜ生まれるか…って言ったらさ。
外部の資源が、自分の欲を満たすためにあると勘違いするからだ。
どっちが良くてどっちが悪い…なんて。
通り魔みたいな一方的犯罪ででもない限り、お互い様だよ。
それは加害者発想?
そう思う人には、そうなんですよ。
だから、そう思う人には、それでいいです。
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