大切なことはすべて他人が教えてくれる
日々、いろんなことが起こる。
いろんな場所に、行く。
いろんな人と、会って、話す。
そういう中で、しみじみと実感することがあって…
「関わる人たちが、いろんなことを教えてくれる」
って、思っていた昨日。
まさしく、その通りの文言が、あるブログに出ていて、思わずリツイートしたのでした。
文中のサブタイトル「大切なことはすべて他人が教えてくれる」この文言ズバリを、今日考えていた。→文章や作品の「独創性」はどこにある?守破離と肩書きと個性と http://t.co/V3XTaHkJyM
— 異界龍画師 緋呂/神龍の具現化職人 (@HIRO_eshi) 2015年6月14日
で、その後、「あ、さっき考えてたことがまた出てる!」という現象が続々と。
意識がフォーカスしているものを拾い上げやすい、というのは当たり前のことで。
だから、思ってることに通じる文言は、そうでないものよりも目にとまりやすい。
思ってたことが、他人の発言の中にあった!…なんて、脳の仕組みからしたら、しごく当たり前で珍しくもなんともない話。
だよ。
そうだけど、そんな風に思ったって、面白くないわけさ~。
だから、そういう時は「あっ、これは天からのメッセージに違いないっ!」とか、ちょっとイタイくらいに面白く考えた方が、楽しいわけよ。
神とか天とかに誘導されるのがイヤで腹立つ天邪鬼だけど。
そう言ってばかりいても、気分悪くなるだけだから。
最近はもう、居直って、イタイ方に走っちゃおうかと思っているわけだ。
いや、そんな話を書きたいわけじゃない。
仕切り直し(笑)
大切なことはすべて他人が教えてくれる
上に貼ったリツイートのリンク先から引用
外部から全く何の影響も受けていない、ゼロからイチを生み出す究極的な「オリジナル」は今や、ほぼ存在していないようにも思う。
完全な「オリジナル」など、もはやこの世界にはどこにもない。
そのことを、今までに何度か、人に話す機会があった。
個性的であること、斬新であること…それらは、必ずしも「それがオリジナルである」ってことではない。
いつか、どこかで片鱗でも触れたことがある何か。
そのエッセンスが自分の中に溜まっていき、それが無意識領域で反応しあって、何らかの刺激を加えたところで「ピョイッ」と飛び出てくる。
そういうもの。
上のリンク先記事でも書かれているけれど、「複合的」に編み出していくしかない。
人類の歴史は、地球や宇宙の歴史からしたら一瞬でしかないけれども。
その営みの中で編み出され来たものは無数にある。
それらは、本当に、「一人の人間」の中から出てきたものなのか?
私は、違うと思っている。
電話も蒸気機関も、同時期に複数の人が作り出していたという。
なぜか、同時期に、別々の場所で、別の人同士が、同じ原理を思いつく…そういうことは、どうやら、珍しくないらしい。
まるで、天からの一斉放送があって、それを受信できた人と、できてない人がいて。
できた人の中に、実際に作り上げてしまえた人がいる。
私は、そういう風に思っている。
いろんな「○○派」やら「~イズム」やらの流派やら社会活動やら思想やらも、芸術や科学と一緒で、そういうことなんだろうと思っている。
要するに、「あらゆる仕事は、あらゆる要素との共同作業である」って、思っているのだ。
自分の作品であるけれど、自分一人の作品ではない。
現世で利益をもたらす「利権」の話を無視できたなら、世の中ってかなり平和になるだろうな…と、思う。
私が思っていることを、誰かが言語化して出してきてくれる。
私が作りたいと思うものの材料を、誰かが作って用意してくれている。
私ができたらいいなと妄想することを、先に現実にして見せてくれる人がいる。
だから。
自分もまた、自分の中に出てくるものを現実に作って世に放つことで、その流れの中に還していく。
インスピレーションを受信できる人は、「次へつなぐ」ものをもらった人だ。
それを、自分のちっちゃいちっちゃい枠の中で「こんなの意味ない」って勝手に判断して、流れに放つことをやめる…ってのは、世界への裏切りであると思う。
やり方がわからなかったら、探せば、誰かがやってる。
どこかで、同じようなことを考えている人がいる。
そういう人に出会うためには、自分が世に発信してなきゃ、誰も受信してくれやしない。
仕事にするとか、しないとか、そんなことは後の話。
まず、放流しようじゃないの。
△ 万年筆画 2014-08-01
Webギャラリーの紹介ページ→http://art-hiro.com/06motif/305/
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