旅行の楽しみも、結局は「人」です
遠くの神社に行きたくなった。
遠くでやってる展覧会を見たくなった。
遠くの劇場で公演を見たくなった。
遠くで開催される講座に参加したくなった。
遠くに住んでいる人に会いたくなった。
そういう時。
私は、その目的一点だけしか行程に入れない。
そうしている…のではなくて、他のことにあまり興味がないから。
先日の大阪行きみたいに、第一の目的に余裕で絡めることができるような「したいこと」がある時は別だけど。
だから、私は旅行ガイドや雑誌などの情報を求めるってことは、まず、しない。
目的地までのルートを調べる時に、付近に目についたものが何かあれば、チェックするという程度。
食べ歩きとか、お土産を買うとかいったことに、まず完全にと言うくらい興味がないので、そういう情報は不要だ。
その土地の特産品や名物を食す…という楽しみがある。
それは知っている。
そういうことに多くの人が楽しみを見いだすことも、知っている。
私には興味がないだけで。
「せっかく来たのに」
というのが、好きじゃない。
そこに行く目的が果たせたのなら、他のことは「ついで」でしかないのであって、「ついで」というのは、どうしてもっていうことではない。
何らかの事情で目的が果たせなかった…という時なら「せっかく来たのに」と思うけど。
ついでの用件なんか、どうでもよい。
「ついで」のために、それぞれのポイントで使う時間を圧縮し、慌ただしい行程になることが嫌いだ。
日本人ってのは、ほんとに、時間をすし詰めにしないと充実感が感じられないらしいのだな、と思う。
名店に行った、名物を食べた、それを土産に買った。
そういうことを細切れに繰り返すことが「旅行」だと思ってたりしないだろうか。
その土地を、自分の足で踏む。
そこの空気を呼吸する。
そこの空を見る。
それでいいのに。
食事ってものへの優先度が低いから、こういうことになるのかなあ。
うちは、ダンナと二人で出かけても、名産を食べに行こう…という話にはならないので、余計わからない。
会いたい人がいて、その人が勧めてくれるものがあれば、その人と共有する時間の中でそれをいただく…ってのは、歓迎なんだけどな。
△とある日本海側の川にかかる橋の上で撮った、大仏さまの形の雲。
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