無理してでも【言いたいことを言うワタシ】でいたい理由は何?
昨今では、「がまんしない」「嫌われてもいい」「自分を一番に」などの考え方が流行している。
今まで日本では、そういう考え方って「おいおい」って言われることが多かったから、みんなここぞとばかりに、「そうだそうだ!」って、飛びついているように思う。
もちろん、それらは大事なことで、自分を曲げすぎれば抑圧になって、まあ、ロクなことにならない。
ムダなガマンや迎合や過剰な謙遜、自分放置…というのは、やはり健全さを損なう。
だがしかし…だね。
「いや、あなたの言動って、<自分を大事にしよう>っていうのじゃないよね?」
というのも、けっこう…目立ってる気がする。
言いたいことを言うワタシ
というのを見せたいため?
ブログが暴言だらけになってる人とか、たまに、見る。
腹が立ったこと、ムカっと来たこと、イラっときたこと。
多くは、人と人との関係の中や、自分よりも立場の強い相手や場との対応の中で「ワタシがないがしろにされた」ことに対する恨みつらみ…みたいなもの。
それを、スキルを駆使して、もっともらしい文章に仕立てているわけだ。
対立意見に対しては、「嫉妬があるからそう見える」とか「自分の中の癒やされてない部分を投影してる」などなどの、言論封鎖ワードを持ち出す。
(事実そうだ、という面は理解しているけど、何でもかんでもそれ持ち出されたんじゃね…)
でも、思うんだな~。
その姿勢、自分の首を、じわじわと締めてるんじゃないのかな~。
言いたいことは言えばいいし、無理や過剰な自己抑圧は、そりゃあ、やめたほうがいい。
でもねえ。
言いたい放題書いてる中にも、ちゃんと、礼節があって、自分の基準や芯が感じられる人も、いるのだよね。
そういう人の記事は、使う言葉が乱暴だったり品がなかったりがあっても、全然、イヤな気がしない。
清々しい。
なにより、「暴言」に感じない。
なんか無理してるな~って感じる記事は、息苦しいし、時には痛々しい。
あなたは、本来、そんな攻撃的な人じゃないのでしょう?
なんで、わざわざ、ムダにファイティングポーズばかり見せて回ってるのかな?
と、思うのですよ。
言いたいことを抑えない。
人に迎合しすぎない。
自分を放置しない。
そういうことって、歯をむき出して「シャーッ」って言い続けること…じゃないと思う。
合わない武器を振り回しても、自分も人も怪我させるだけだと…思うわけです。
そうまでして、【言いたいことを言うワタシ】でいたい…そういう自分を見せていたい理由は、何なんだろう?
そして…そういう自分でいる手段は、噛みつきまくりの攻撃型をとる以外にも、あるんじゃないのかなぁ?
△大天使ラファエル『全てそのままでいい』 B3/パステル、水彩色鉛筆
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