呪いに呪われたままでいるのか、いないのか。反応した時こそ、ただ拒否するよりやることがある
誰かの言葉とか、文章とか、歌とか、写真とか、絵とか。
いろんなものが、刺激になる。
何がどんな刺激になるかは、自分次第。
それは、「そのモノ」のせい...というよりは。
自分の中にある、そこに反応した記憶や感情の賜。
同じものを見ても無反応な人間もいる。
世の中の全員が、自分と同じような反応をするわけじゃない。
バックボーンが違うとか、環境が違うとか。
そんなことを挙げてみて、反応しない人と自分とでは全然違う...と言いたくなるのも確かにそうだろう。
けれど、「自分と全一から百まで同じ他人」など、この世のどこにも、いはしないのだ。
全員が、違った環境で、違ったバックボーンを生きている。
それらが似通った人同士は、確かに、似た反応を起こしやすいとは言える。
そして、似通った人同士は、近いところにいる確立も高い。
そうした「半径5M圏内」の事情を見て「ほら、みんなそう思ってる!」て判断するのは、ちょっと待て。
その反応を、当然として。
そこにあるものを、当然として。
みんなも当然そうだと、認識して。
「そのことを、更に自分に定着する」
それは、あなたが忌み嫌う「呪い」を、より強化しているだけだ。
せっかく反応したのだから。
その反応の奥底に何があるか...ってことと向き合ってみればいい。
あそこがおかしい、性別が違う者がなりきれてないからおかしい、目線がおかしい。
そんな風に、相手の非ばかり追求していたって、自分にかかった呪いは解けやしない。
その呪いは、誰がかけたか...っていったら。
自分だから。
自分がかけた呪いは、反転させて使うのが一番。
生きていく、という過程は、自分で作るしかないのだから。