基準となるものが有限であることと、損得に神経質という民族的な思考の方向
日本は古くから農耕を主にして生きてきた民族の国。
きっと、だからこそ、日本人は「損をする」ということに神経質なのではないだろうか。
農耕する上で絶対に必要なのは、まず、土地。
この広さが、耕作量をほぼ決定する。
土地の質も影響は大きいが、それは改良することができる。
しかし、土地は、拡張したかったら人のものを借りたり譲り受けるか、まるで未開の場所を探し出して切り開くしかない。
集落の中で優良な場所が開いていることは無いから、人から譲り受けることができないならば、外へ出て行くしかない。
結局、「その囲いの中」において、「少しでも多く確保する」思考にならざるを得ない。
そんな、民族的な思考の向きってものが、あるような気がする。
見返りなく人に分ければ、自分が確保できる分が減るだけなので、損。
少しでも人より多く確保することができれば、得。
人口が減少し始め、家や土地が徐々に、余り始める。
そんな時に、「貨幣経済ではない時台」の兆しがハッキリしてきた。
損しないことが重要だった時代も、変わり始めている。
損か得かに左右されない価値観。
有限のものをいかに取り合うかではなく、必要な時だけ手に取り済めば放す。
決まった容積の中にどれだけ効率よく詰められるかではなく、どうやって次へ循環させていくか。
あらゆることの基準や指標が、今までの世界と変わりつつある。
平成が終わろうとしている。
次の時代に生まれてくる子達は、どんな世界を創っていくのだろう。