緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

人から名や技能や権限を譲り受ける...ということ

人から何らかの名前や技能などを譲り受け、引き継ぐ...というのは、とても軽くほいほいとできることじゃない。

私の世界では、それが道理だ。

 

誰かが研鑽し、研ぎ澄まし、体系化し、再現できるところまで落とし込んだもの。

それを譲り受ける。

 

なぜか、それをとっても「お気楽」に、「ライト」に、ぽんぽんできてしまう人も、世の中にはいる。

いや、むしろ、「もらえて当たり前」と思ってすらいるかのような。

 

ほんの少しの金銭や数時間...せいぜい数日を対価に。

長くかかって創り上げてきたものを、「それを支払えば、当然もらえる」と思う。

 

私には、なかなかに、理解しにくい感覚だ。

 

 

習えばできる。

多くのスキルはそうだと思う。

 

しかし、センスは習って身につくものじゃない。

基礎的な能力値や、向き不向きの問題も、習ったら解決するものではない。

 

どんなことでも習えばすぐに、自分も仕事にできる...という発想が、なかなかに理解しにくい。

 

 

私はどっちかというと、欲しくても受け継げないようなものを習得したいと思ってしまう人間なので。

無理ゲー承知で、やってみる...食いついてみる。

そういうことも、少なくない。

ただ、そういう時、それを「そこそこ、できるようになった気がする」程度で、己に許可を出すっていうのは、難しい。

また、そうはしたくない。

 

指導者が、教え子に名前や権限を与える。

 

その意味を、現代人は少々、軽く考えすぎているんじゃないのかな。

そんな風に思うことが、よくある。

 

 

あの講座は高い。

そんな風に揶揄されるクラスも世間には多い。

実際に、内容と比較して薄すぎる講座も、多いと思う。

でも。

私は、どんな講座であっても、全員が必ずモノにできるわけじゃないと考えている。

どれほどに難易度の低いものであれ。

どれほどに、一般化されて体系化されて再現性を高められたものであれ。

一定の、モノにできない人というのは、存在する。

それこそ、2:6:2の法則だ。

 

その、モノにできない一定数の人を指して「ほら、あんなに多くの、受けても何もできないままの人達がいる」といって、その講座をクズだと言う。

というのも、どうなのかな、って。

 

まあ、もちろん、受講生9割がモノになってないような場合は、論外なんだけど。

 

 

そんなことが起きるのも、そもそも、

「人が創り上げたもの」を「条件さえ満たせばもらえる」というのを当たり前のこととして考えているから...なんじゃないだろうか。

 

 

指導者から名をもらう。

技能を使う許可をもらう。

 

それは、その指導者の人生の一部を受け取ることだ。

 

その人が心血注いできた何らかの仕組みを。

それにまつわる様々な苦楽を。

 

そして、そこで生じる責任を。

 

 

○○万円払って△△日講座を受ければ、それもらえるんでしょ?

 

そんな風にぽんぽんと譲られることができるようなモノばかりじゃないよ。

特に、見えない世界に関することはね。

 

 

 

こんな重苦しい冬の空も好きだ。

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