「無理」しか言わないなら、何も手に入ってないのは当たり前
何かを「どのようにやっているか」と聞かれた時。
自分がやったことを、答える。
やってきたこと、今もやっていること。
そんなに、たいしたことじゃない。
ただ、やり続けてきた、というだけのことだ。
基本的に私は怠け者なので、しゃかりきに頑張るとか、がむしゃらに頑張るとかは、極めて短期間のことにすぎない。
ふだんは、ゆる~く。
至ってゆる~~~く。
スローなマイペースで、ただし止まらない。
しかも、私には15年という長期間のブランクもある。
ああ、あれだ。
観覧車。
ゆっくり一定の速度で、しかし止まらずに常に動いている。
遊園地全体が電源を落としている時以外は、常に動いている。
あれだ。
15年放置されていたけど、電源が入ってまた動き出した観覧車だ。
でも。
そんな程度でしか動いていない、本当にがっつりやっている人達からしたら、やってないも同然の動きですらも
「えー、わたしには無理かもー」
みたいなことを、言われることがある。
たとえば、あれこれ手を出していくやり方。
そこから、複合技を見つけていくやり方。
極めて飽き性ゆえの、多岐にわたる手札をそろえて、次々変えていくやり方。
そんなにあれもこれも無理、と言う。
一気集中で、短時間にガーッと描いてあっけなく終わる、という描き方もあれば、1本の鉛筆で広大な画面を延々埋めていく地味で長期にわたる描き方をすることもある。
そういうのも、無理と言われる。
では、問いたいのだが。
無理、と言ってやらないでいるのに、どうして「うらやましい」とか「自分にもできないだろうか」とか、思うのだ?
やっていることを答えて、無理と言う。
だったら、できるようにはならないに決まっている。
なのに、やりたいと?
だから別のやり方を教えてくれそうな人に、次々と聞きに行くのか?
で、無理ーと、言い続けてきたわけだ。
だったら。
今、あなたが、「私程度」の技能にすら届いていないのは、当たり前のことだ。
私程度でもできていたことを、無理と言うのに。
私程度の技能すら手に入れることはできないだろう?
無理ーと言うなら。
欲しがるな。
欲しいなら、手に入れる努力をしろ。
単純な話だと思うが。
いかがかな。