アウエイ上等!詳しくなくても経験乏しくても、それはやらない理由にはならない
私のように、興味があちこちに分散していると、
「常にアウエイ」
をやっているようなものだな...と。
思った。
もちろん、絵描きという一本の軸の上に並んでいることではある。
傍目にどうかは知らないが、私自身の中では、それはもう整然と、絵描きという軸上に並んでいる。
ただ。
それぞれの技法には、それぞれを極めてきたか、極めていこうとしている人達がたくさんいて。
できるモノという結果は、私がいかに「つまみ食いしかしてない」としても、専門家と同じように見られることになるわけだ。
いくら、その道は浅かろうと。
つたなかろうと。
不慣れだろうと。
関係ない。
ある陶芸家の方の工房を、見学させていただいたことがある。
陶芸のプロとして数十年。
生家も陶器の大規模工場を経営されていたそうだ。
JR駅の構内壁を一面、その方の作品が飾り。
街角にも、大きなオブジェが据えられている。
そんな、「地元の名士」的な作家さん。
その方に、「陶芸の何を知ってるんだ?」と聞かれた。
質問ではなかった。
その方は、年賀状に使ったものだという絵を見せてくださった。
「ぼくは絵はプロじゃないけど、これくらいは描く」
とおっしゃった。
味のあるタッチだな、と私は思った。
絵画作品のアーティストだと言えば、それで通せるとも思う。
私って常にアウエイだよな...と思った時、その方のことを思い出した。
陶芸のことなんか、知らない。
ほんのちょいちょいと、いじっている程度に土を触っただけだし。
見分けることもできない。
釉薬も、あるものを使わせてもらっているだけだし。
窯も間借りだから自分で窯詰めしたこともない。
で?
それが、何か?
最近首を突っ込み始めたジュエリーの世界。
こちらは、陶芸以上に、アウエイだ。
貴金属にもファッションにも興味が無かった人間が、いきなり突っ込んだのだから。
何も知らない。
で?
それが、何か?
もっと言うなら。
絵だって、同じだ。
私は学校で専攻したのは油絵だった。
今、それはやってない。
やってても、学校でやっただけだから、特に詳しいとも言えない。
他の画材だって同じ。
一つだけをずっとやっている人と比べたら、完全に、絶対量は乏しい。
その分の経験値も少ない。
で?
それが?
どうした?
こういうことを理由にして、「だから私には無理」「だからやらない」「だから趣味でいい」「だからテキトーでいい」というのが、ナンセンスなんじゃないか。
それでも、突っ込むんだよ。
アウエイでも、突っ込むんだよ。
詳しい人達の意見を聞ける、手を借りることができる。
そういう体制をいつでも整えておけばいいだけのことだ。
困ったとき。
イヤな顔しながらでも、手助けしてくれたり教えてくれる。
そんな人達との接点をいかに、準備するか。
自分自身が全て完璧にできることが大事なんじゃない。
人の知恵も力も、自分の一部と思えるかどうか。
もっとも...だ。
「やったモン勝ち、言ったモン勝ち」をあまりにもやるのはNGだよ。
自分が総取りはダメでしょー。
還元する姿勢を忘れたら、潮はあっけなく、引いていく。
そういうものだ。
やり続ければ、経験値はたまっていく。
陶芸だってジュエリーだって、あんまり触らない画材だって。
いずれは、アウエイでなくなる日が来る。
続けられるかどうか、ということの方が重要。
千里の道も一歩から。
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