描くことを「紙の上のスポーツ」と捉えるなら、命がかかった冒険です
さっき、Facebookでこんなこと書いた。
「紙の上のスポーツ」ていう表現が気に入った!
競技は何だろう...私は..................
登山.....かな.....単独エベレスト登頂....
単独太平洋横断(ヨットより手漕ぎ?)
とか???
いつ死んでもおかしくないぜー的な....
元ネタは、こちら。
【絵を描いてもらう時】
— 吉村拓也 (@hanari0716) 2017年11月4日
【絵を頼んでもらう時】の
お互いの理解。 pic.twitter.com/HvLULaz89a
この内容に関しては、どの立ち位置から見るかで感じ方は全く違うと思う。
私は描き手なので、どうしても提供側として考えるけれど。
購入者側としては、「これにそんな値段?!」て思う気持ちも、わかる。
「ちょっと、ここの空白に入れるイラストほしいな」レベルで思っているならば、ウン万円と言われたら「はぁ?」てなるだろう。
「この人のこの作品が欲しい!これじゃなきゃダメ!」レベルなら、言われた価格を捻出することだろう。
提供する側の論理はこうだよ、と、このツイートは言っている。
そして、提供する側としては、やっぱり、こう言いたいし言うしかないよね...と私も思っている。
当記事は、その話ではない。
冒頭に引用文として載せたこと。
絵を描く、ということを「紙の上のスポーツ」と捉えるなら。
自分は、どういう競技に相当するだろうか。
という、発想について。
単独エベレスト登頂だの、手漕ぎで単独太平洋横断だの。
どえらいことに例えているけど。
これは、あんまり深く考えないでサラッと書いた
つまり、「本音」が出た。
のだと、自分でも思っている。
私は、描くのが早い。
だから、時給に換算したら...それこそ、時給1000円なんかに換算したら。
軒並み、1万円以下になってしまう。
それはない。
断じて、ない。
満足いく値段がつくのは、鉛筆で延々と大画面を埋めていって約一ヶ月...という、スサさんと八岐大蛇くらいのもんだろう。
(ちなみに、上の絵は非売品なので札束ごっそり積まれても売らない)
あとの絵は、かかっても3日。
だいたいは、半日。
下手すりゃ、数分。
時給1万円でも「えー、ヤダよ!」って言いたくなる場合もある。
一方で。
「時間が、それほどかからない」ということで、自分の労力が大したことない、と思っていた時期が私は長かった。
ほんのつい最近まで、その感覚がなかなか抜けなかった。
なのに。
時給換算した価格だと、イヤだし...と思う。
そのズレが、この、シェアする時にサラッと書いた文章の中に、如実に出ているのだ。
「こちとら、命賭けてやってんだよ!」
て、ことだ。
実際、描いた後寝込むこともあるのだ。
(嘘のような本当の話)
逆にエネルギーチャージしてもらえて元気になることもあるけど。
でも、仮に元気になるとしても。
描く、ということを経由して、自分の生命活動に影響が出るレベルの「何かの交感(誤字ではない)」が、されているということなのだ。
もちろん、それをお客様にまるごと押しつける気はない。
モノには適正価格というものがある。
物質としての絵には、物質としての価格というものがある。
だけど。
「ちゃちゃっと描けるんでしょ」
という受け取り方しかしない人には、言いたい。
「命かかってるんだよ!」
まあ、そんなこと思う人にはそもそも売らないけどね。
私の絵、高いよ。
時に無料で差し上げることも、あるけどね。
(時と場合と相手によるし、その基準は完全に私都合)
この絵とか、20分くらいだからね......時給1万円としても3000円じゃん。
イヤだよ。
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楽そうに見えるほど熟練してる...ということも認識してもらいたいねと思う職人贔屓
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