知り合いのご祝儀とは罪深きモノなり
「好きでやってるんです~」
というスタンスで作るモノは、
少々...いや、かなりヘボでも、
そこそこに暖かく受け入れられる。
しかし、それを
「仕事としてやってます」
というスタンスにしたとたん。
かなり達者であっても、
厳しい目が注がれる。
金銭の授受があるかないか、というのに関わらず。
そんな時。
SNSの妙
を、強く感じる。
自分が普段から「そこそこ受け入れられている場」の中にしかいないと。
そこで、何を放っても、そこそこに、受け入れてもらえるという状況が普通になると。
正しい認識が、難しくなる。
普段接している人達が暖かく見てくれる
だからといって
それを
「よし、仕事にしてみるか」
と思った瞬間に。
折れる
という近未来は、用意されている。
その時、
添え木して固めてでも、前に進む
ということができないと。
本当に、終焉がやってくる。
知り合いのご祝儀とは、
案外と、罪深いものなのだ。